この展示が終わった後、わたしは記事を書くために何度も淺井とあい、担当スタッフとも何度か話をしている。そうして、館内にいた案内サービス員や警備員の人とも、話をする機会をもらった。それは、展示が終わってもう翌年の1月に入ってからのことだった。これらの体験がどういう物だったか、担当スタッフもまた、話してくれた。その彼女のある表情をみたとき、わたしは淺井が残していったことの大きさをみた。
仕事に没頭する彼女が、淺井の所へ様子を見に行く。行くときは小走りで走ってゆく。淺井がゆっくりとヘッドフォンを外し、脚立からおりて話をする。回りには他の人がいることもある。別段特別な話をしているのではないのだと思う。それでも、2,3分すると、彼女は笑っている。表情をゆるめる。時間が、そこでゆるんでいる。帰りもやや足早に仕事に戻ってゆくのだが、もうその足取りはすっかり変わっている。その足取りは落ち着いたスピードに戻り、心持ち軽やかに見える。
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また、同じようにこの日、既に展示が終わっているにもかかわらず、案内サービス員の人たちにもインタビューをした。問いは、マスキングプラントの展示を覚えていますか?どんな感想を持ちましたか?なくなってどうですか?これから淺井が展示をするとしたら、見に行きますか?という4点だった。それぞれの質問に答えようとする彼らは、皆それぞれに、何とも言えない表情をする。言葉を探しているのだ。興味がなさそうにしていたのは12名中たった1人で、残りの人全員は1人として、同じ言葉を語らなかった。彼らは言葉を探して試行錯誤し、真剣に考えて、答えてくれた。例えば、先にあげた情報センターの職員の方には、もうない作品を見せてくれたとき、何かとても大事な生き物を見るような表情をしていた。「そうですね」といって、考え込む他の案内サービス員の人は、パズルを解くときのように深く考える。記憶を引き出して、整理し直しているのだろう。
確かに、もう既にマスキングプラントはない。しかし、ここにはっきりと、毎日を淺井とマスキングプラント一緒に過ごしてきた者の体験が残っている。次々と限界を超えてゆく彼の姿を毎日目の当たりにすること、少なからず彼らにも影響を与えただろう。それは言葉ではない。ただ、目の前で淺井が形としてみせていったものであり、事であり、本当に起こったことだ。そのことが、淺井の体験としてではなく、鑑賞者である彼ら自身の体験としてそこにあった。マスキングプラントは、決して一人で終わる作品ではないのだ。
*印及び、ページ最下部、右2点 photo:鶴巻育子
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