■制作 〜2.どう描くのか〜
グランドギャラリーであるいはカフェで制作する彼の姿は、上手に美術館の日常の風景にとけ込む(図4)。これは淺井の得意技である。夜間に制作することもあるにはあったが、ほとんどいつも誰かがいつでも見ているという状態で、彼は制作をした。
淺井が、鑑賞者を意識して作成を始めたのは、この展示のひとつ前、川口メディアセンターでの「植物のじかん」からである。メディアセブンとの共同企画によりインターネットを通して配信された彼の制作を、淺井は、「遠い世界の近くの人を思いながら、手を休み続けることなく伸ばすことできた。」と振り返っている。この鑑賞者が休みなく常にいるという状態をすぐに彼は前向きにとらえはじめる。それがなければ、横浜美術館での展示はおそらく全く変わったものになっていただろう。
制作中の彼はこんな風(図5)。脚立に立って、ヘッドホンをしながら、「制作中」とかかれたTシャツを背中に、手を動かしている。ヘッドホンをしている彼は、せっせと制作にいそしんでいる。ちょうどよい距離で、声をかけるのはもう少しまとうと思いながら、その様子をじっと見ている。そんな風にして、なんだろうと、周囲の人々も足を止め、彼の制作風景を眺めている。小刻みに白いテープをちぎって貼る、ちぎって貼る。少し経つと今度は、ペンを持って描き出す。しましま、ジグザグ、点々、様々な形の植物や動物が描かれていく。
それを、わたしたちは見ている。特に大きなことが起こるわけでもない。飛躍的にマジカルなことが起きるわけでもない。ただ、淡々とマスキングテープが貼られ、いろいろな場所に植物が成長してゆく。毎日。ゆっくり。ときどきはとても早く。
淺井は、鑑賞者にとても敏感だ。この時、もっとも彼にとって近しい鑑賞者となったのは美術館のスタッフだった。特に案内サービス員(監視員)の人々。静かに座って何時間も彼の制作を見つめるその人たちの視線を彼は感じていた。そのため、毎日見る人のために小さい窓のような画をつくることもある(図6)。閉館後制作された日には、朝来て吃驚するくらいに進んでいる日もある。こうした美術館職員である「鑑賞者」とのみえないやりとりが、彼の制作の一部を作りはじめた。みられていることは、淺井にとって、栄養へと変わっていった。見ている人の時間。案内サービス員、警備員、学芸員をはじめとする美術館スタッフ、お客さん、そうして仲間たちが持つ時間を彼は感じ続けることでその場を一緒に作り出してゆく。見えないつながり。
実際、「鑑賞者」として、その場に座ってみているだけでも、その制作の姿はとても面白い。あっちへ、こっちへと手を伸ばしながら、まるで動物のように描くその姿を見ているのは、大変心地がよい。育ってゆく植物を見ているのは楽しい。後にそれを見ていたスタッフの人々も、毎日のその変化をとても楽しみにしていたという。「今日はここに増えたね。」「あっちにもあるよ。」そういう会話が自然とわいてきたのだという。こんな小さなやりとり。「つながり」が生まれている。
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図4.グランドギャラリーであるいはカフェで制作する彼の姿は、上手に美術館の日常の風景にとけ込む
図5.制作中の彼はこんな風
図6.毎日見る人のために小さい窓のような画をつくることもある |