topspecial[アートエッセイ/淺井裕介展 根っこのカクレンボ 「Masking Plant Project in Yokohama Museum of Art」/神奈川]
淺井裕介展 根っこのカクレンボ 「Masking Plant Project in Yokohama Museum of Art」
図10
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■ 11月3日 〜7.つながる〜

 平成19年11月3日文化の日。この日、横浜美術館は開館記念日を迎える。ここ数年この日には様々なイベントを行い、入館が無料となっているそうだ。前日に、展示を終えた他の車たちはなくなったのにも関わらず、彼がコラボレーションした車は、結局淺井の展示最終日まで残ることが決まっており、車が、ギャラリーホールの中央におかれていた。
 その日、淺井は、昼の部をダンサー:ホソイヒロコとのコラボレーション、夕方の部をミュージシャン:佐々木彩子、増岡裕介とホソイとの合奏というステージにたつことになっていた。この日、わたしは2回目の「根っこのカクレンボ」を見に行く。
 昼のステージ(図10)。エントランスホールから入って右手に広がる大きな階段状の空間。午後2時、ホソイがその左手の一番上からゆっくりと最初の一歩を踏み出し、踊り始めた。それを受けて淺井は制作を始めた。踊り始めたホソイの動きを刻一刻と感じながら、淺井は手を動かし続ける。描くときは必然的に背を向けることになる淺井は、全身でその場を計っていた。そのとぎすまされた感覚は、会場全体に伝わり始める。両者の動作が決して無関係にならないように、彼らは神経をとぎすませる。ホソイは彼のコンセプトである「根っこのカクレンボ」について相当な考えを及ばせていたのであろう。走ったり、飛んだり、階段の縁を越えたりした。終始、彼女は淺井と作品を幹として、ありとあらゆる所に軌道を描き、目に見えない根を張り巡らせた。それは、軽く羽のようで、しかし根強い動作で、その中にできあがった空間は、時に根の中に包まれたような優しい安心感を持ち、大きな翼を持ったように勢いよく広がった。ホソイがかけ声をかけて、会場とのやりとりをする。マスキングテープを淺井からもらい長く長く引っ張る(図10)。まるで、蜘蛛が糸を張るように、両者は空間を渡り、踊り、舞台を作り上げた。
 一瞬一瞬が、息をのむように緊張した空間だった。
観客は100人を超えていたであろう。2階の会場からも、1階からも、エレベーターからも、人々は視線を送っていた。ホソイの一瞬一瞬に渡るその動きに釘付けになって、動かなかった。誰にも何の説明もなく、音さえもなかったそのホソイと淺井のパフォーマンスを、老父から子供まで、人々はしっかりとみていた。そのみられていることを、彼らは作品の中に取り入れる。みる者とみられる者のこころよい緊張したやりとりが成立する。描くことが、その瞬間、人と人との間を行き来する、生き生きとした何かに変わった。そのとき、何ものかが、そこにいる者の心をひとつにつなげていった。その階段スペースを中心に、空間ができ、人の輪ができ、それはまるで淺井を幹として大きな根が人々を通して育んだような様子。そうして実際それはその瞬間そうなっていたのだと思う。
 その日、夕方からのプログラムでは、何羽もの鳥が飛んだのだと、後で聴いた。今度は音楽もつき、淺井はひたすらグランドピアノのすぐ近くの地面で演奏者の一番のお客になりながら鳥を描き続け、それを周りの人に渡したという。そうして、鳥は、他人の手を通して飛び立ち、館内の様々な場所に散らばった。

 この日の彼の仕事は、このステージだけではなかった。額装されたドローイングは当初展示場所が決まっておらず、予定外の場所に担当スタッフと学芸員が急遽パネルの設置を決めた。この日はいっていたグランドギャラリーでの他メーカーの商品のための展示は、淺井のグランドギャラリーの作品を覆ってしまっていた。彼は、それでも、作品の説明をし、そのメーカーの意図も壊さぬように、ひとつひとつのパネルを少しずつすらしてもらう交渉をしている。彼のプロジェクトに関するチラシができあがったのもこの直前。カフェでのTシャツとバックの販売が始まったのもこの日。
 この日、彼は館内の多くの部署と人、場所、作品をつないだ。淺井という根っこをもとに、マスキングプラントは成長し、その成長を通して、多くの人がその作品と関わりつながることが可能になった。その昼の部のステージのとき、ただそこにいて、淺井が作っている様子を、ホソイが踊っている様子を、みんなで見守る中で、それをみていたそれぞれは一瞬全体でつながったのだと思う。その一体感は、昂揚をよぶ。しかし、それは一瞬の昂揚にとどまらないのだ。つながったという感覚が残る。

 わたしはその日ことで、ひとつだけはっきり思い出す瞬間がある。昼間のステージを見終わった後、感じた光に満ちた充足感。それは、ちょうど植物が花を咲かせる瞬間に似ている。あるいは、昆虫が脱皮して始めて羽ばたくとき、そういう瞬間。なにかが順を追ってきちんと成長を続け、まっすぐに自分が持ちうる最大の力を発揮している。そういうような瞬間だった。淺井はおそらく、その日大きなジャンプをしたのだ。大きな壁を乗り越えることに成功したのだと思う。そこで、彼は「つなげた」のだ。これまでつなげたかった何かを本当につなげてみることができたのだと思う。そうして、その見事なジャンプの経験をわたしはいまだ忘れることができない。いったい、彼はなにを「つなげた」のか。
 ライブが終わった後、彼はお客さんにも手伝ってもらって、その日に育てた全部のマスキングプラントを外し、人形を作ったという(図12)。すべてが、まるで予定調和のように起こるようにみえる。でも違うのだ。これらのことがこれほどにスムースに起こるのには、彼の深い思索がその場に巡っているからなのだ。その場その場にあわせて、誰にも迷惑をかけずに、誰の意志も曲げずに、自分の意志さえも曲げずに、彼は場を作る。
 
図10
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図10.昼のステージ
図11.人形
 

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