その後、「森村泰昌−美の教室、静聴せよ」展(以下、森村展)の終了(9/17)を間近に、来客数はどんどんと増えてゆく。それをきっかけに彼はグランドギャラリーでの制作に力をいれる。次々と、彼は制作の場所の許可を得てゆく。この展示で、最初から決まった制作場所はカフェのみで、あとは交渉ということになっていた。彼と担当スタッフは、その都度、各部署の人と相談して、制作場所を増やしていった。当初話だけでは要を得なかった施設管理担当者や、企画展の担当者は、実際に彼の作品を目の当たりにしたところで、「これなら大丈夫」という反応を表したのだと担当スタッフはいう。順調に、マスキングプラントは美術館の隅々まで根を伸ばし始めた。

9月26日、彼の日記には「メジロオシ」という題名がついて、
鳥が飛んでいる(図8) |
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実際、マスキングテープで作ってある植物の作品は、いつでも取り外せるし、あって気味の悪い物でもない。むしろ、こちらに注目を集めてくれるのに役に立つか
も知れないと思う。あるいは、かわいいなと思う。しかし、本当にそれだけだろうか。それだけで、作品としてマスキングプラントは成立しているのだろうか。そうではない、そんなに簡単な話ではない。これは作者の意図が巧みに縫い込まれているのだ。
それは通常の自然にあるようなものとは違う異様な物だ。マスキングテープが壁に貼られているのだ。それは、いったい何なのかわからないというのが、最初の感想だと思う。しかし、時間とともに、地面に生える雑草が、あるいは建物につたうツタが異様ではないのと同じように、「自然」なこととして、それは読み込まれてゆく。でも違うのだ。その「自然」は、あたかも、ドラえもんがのび太の家で過ごしている当たり前、あるいはQちゃんがドロンパと遊んでいるのが当たり前であるような、そういった「異様な光景の自然さ」なのだ。つまりそこには、それが植物の形状をしていることや、マスキングテープであることなど、よく考え尽くされた彼の思想が織り込まれているのである。彼は、一瞬で鑑賞者を作品のある世界に引き込むのだ。
このとき開催されていた企画展の展示室から後数メートルというところまで、彼の制作許可は下りる。9月26日、彼の日記には「メジロオシ」という題名がついて、鳥が飛んでいる(図8)。植物は46本に及んだという記録がある。すでに一日一本以上の制作ペースだ。開始から1ヶ月、開催当初おおよそ予想できた最大限のことをこのとき既に彼は達成している。そして、ここから、彼の制作は予想を超え始める。
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さて、9月29日企画展が入れ替わった。同時に最初のマスキングプラントがあったグランドギャラリーの使用状況も変わる予定だった。当初、10月末から11月の頭にかけて、グランドギャラリーではある車両メーカーの展示が行われることになっていた。淺井には事前にそのことが知らせられており、その際には、マスキングプラントを外すということで合意していた。それゆえに、彼は森村展の終了を目指してグランドギャラリーの充実を図っていたのである。
ところが、事態は一転する。この車両メーカーの人が実際の現場を見たときに、淺井の作品を見て興味を示した。作品だという説明をしたところ、それだったらせっかく美術館でやるのだからそういう物があっても良いじゃないかという展開を迎えたという。かくして、彼はグランドギャラリーにあった植物を外さなくても良くなり、その車両メーカーといわばその場をコラボレーションすることになった。
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この決定前後、11月3日の開館記念日のイベントアーティストとして彼は正式に選ばれる。ほどよく他の競演アーティストの予定もうまく合い、ライブの予定は組まれた。9月末から、ちょうど、企画展が「シュルレアリスムと美術」展へと入れ替わった頃から、淺井の横浜美術館での制作はみるみると様相を変えて、加速してゆく。既に1ヶ月に及ぶ制作から、人々の信頼を得た淺井は、その加速する自らと周囲の変容に見事に応えていった。他の部署からも色々なオファーがやってくる。淺井はミュージアムショップからの提案でTシャツとエコバックを作って限定販売することを決め、さらには開館記念日に、淺井のドローイング作品を額装して販売することまで決めた。当初の予定にはないことがどんどん決まっていった。
9月から11月まで彼のスケジュール帖に空白はない。 |