topspecial[わたしのおきにいり/藤田千彩]

ECHOES

PHOTO & TEXT_藤田千彩
藤田千彩(ふじたちさい)
アート+文章書き&PEELER編集長
1974年岡山県生まれ、東京都在住。
最近はオークションとデパートの美術画廊が気になって通ってます。


ECHOESのファーストアルバム
「Welcome to the Lost child club」

 

私が書くためのモチベーション、それは「ECHOES」。
いま「アート」と「書く」という、
2つの「好き」を組み合わせた仕事をしています。
今日は「書く」についてだけ、書きます。

あれは中学3年生の、眠れなかった夏の夜。
たまたま聴いた深夜放送がきっかけで、
私は「文章を書いて生きていこう」と誓いました。

そのきっかけは「ECHOES」(エコーズ)というバンドの「歌詞」です。

当時の私は、とある病気で一ヶ月入院した後だったり、
行きたい高校を親に反対され(結局その高校に行くのですが)、
生意気だったり、わがままだったり、自立したかったり、
と青春の煩悶を繰り返していました。

歌詞を書くとJASRAC的にひっかかるので(笑)書きませんが、
私の心にかなり響きました。
当時の私の気持ちや行動を見透かされている気がして、
物語のような歌詞を、ラジオを聞きながら必死に書き取りました。
バンドブームだったけど、田舎すぎて情報がなかった、
いや、ECHOES自体がマイナーなバンドだったので、
なかなか雑誌も載らなくて、CDも手に入りにくかったのです。

高校に入って、私は一人の友人に毎日手紙を書いていました。
「私が文章書きになるための練習だ」
と言って、紙の表にはエッセイみたいなこと、裏にはECHOESの歌詞を書き連ねて、
その友人にせっせと渡してました。

そうしていると、私の通っていた中学校の近くにある短大の学園祭に、
ECHOESがやってきました。
「私のために来たんだ。書きなさいって、言ってるんだ」
しかもその来た日は、
ECHOESのボーカル・辻仁成がすばる文学賞を取った2日後くらいでした。

私はそんな歌詞を書く辻仁成に会うため、東京の大学を目指しました。
でも私が大学に入る前、ECHOESは解散し、辻仁成は芥川賞を取りました。
私はいつか辻仁成に会って、
「あなたがいたから、私は文章を書いているんだ」
と言いたい、と思いました。

しかし大学に入っても、卒業して社会人になっても、
「ああ、どうやったら文章を書いていけるのだろう
 そしてどうやったら辻に会えるのだろう」
と思う日が続きました。
そしてくじけそうになったらECHOESの歌を口ずさみ、
つらくなったらECHOESの歌を歌っていました。

文章を書く、しかも好きなアートのことを書く、
ということを始めることができたのは、ふとした偶然からでした。
しかも現在もなお成り立っているのは、
こうした気持ちがバネとなっているからです。

去年夏、深夜ラジオを聞きながら仕事をしていると、
「作家の辻仁成さんが京都造形芸術大学の教授になりました」
というニュースが流れました。
な、なに!?
美術系の大学で、しかも文章を書くコースに、辻が。
私が辻仁成に会って、
「あなたがいたから、私は文章を書いているんだ」
と言う日も、そう遠くはないはずです。




CHOES YouTubeへのリンク+藤田千彩解説
訪問者(visitor)
→暗い歌詞ですが「私のこと?」と思ってた・・・
JACK
→聞き取りにくいですがとても物語な歌詞です・・・
ECHOES 歌詞を読みたい方へ
http://music.yahoo.co.jp/shop/p/12/7365
SONY MUSICのECHOESサイト
http://www.sonymusic.co.jp/Music/Arch/AI/Echoes/

 


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