池田朗子が「サイト・サイト・サイト」を作るまで。
藤田
そもそも「サイト・サイト・サイト」を作るに至るまで、というか、経歴だけ見ると大学は彫刻科だし、大学院は京都やロンドンに行ってるよね。
池田
大学の時は、枕木を使ったり、6mの木を使ったりして、休みなく大学に行って作品を作ってたよ。木を削って作った小さな椅子を45個並べたインスタレーションを作ってた。
藤田
ああ、彫刻をやってたのね(笑)。
池田
そう、やってたね。すごい制作するのが楽しくて、行ってた大学(名古屋芸術大学)の仲のいい版画科(笑)の先生が京都市立芸術大学の出身者が多くて、それで京都市立芸術大学の大学院に行くことを勧められて、進学した。
藤田
いきなり京都、って、言葉違うし、街も知らないし、不安じゃなかった?
池田
展示作業をする池田朗子 |
そう、1人になったんだよね。どうしていいのか分からない1年を過ごしたんだけど、1年修了のときに制作した作品が学内で賞をもらって。普通に見るとテントみたいに布が張ってあるんだけど、屈むと鉄の棒で作った豆の木が並んでいるインスタレーション。視点が変わると見えるものが違う、そういう作品だったんだけど。彫刻って、正面からしか見てないのに3次元に再現しないといけないんだよね。この豆の木のインスタレーションの「視点、視界」「見る/見えない」という考え方が、それまで勉強していた彫刻表現へのアプローチと合致したんだよね。空間を使うことによって、他者にコンセプトを表現できると感じた。
藤田
京都は5年間いたんだよね。
池田
そう、大学院を卒業して、バイトを1年やって。岐阜に帰ろうかと思ったけど、短大の助手の話が来て勤めた。そしたら、また毎日がアート中心になる生活に戻れて、すごいうれしくて、学生とも仲良くなったし、楽しかったね(笑)。
藤田
助手を2年勤めて、それでロンドンだね。
池田
ロンドンは1年半だね。「金がなくて、身1つ」と分かった上での渡英だった。行ってすぐくらいに、学生同士で展覧会をする話があって、文房具屋で見つけたブルータック(練り消しゴムのようなもの)で作った飛行機を、学校のあちこちに貼り付けたんだ。そしたら、見た人たちが「あそこで見た」という話をしてくれて。しかも、「空を飛んでいる」という認識に疑いなく陥ってることに気づいた。
藤田
「サイト・サイト・サイト」の原型だね。
池田
そう。言葉も完全には分からない外国という場所だったけど、この飛行機を通じて、自分の行為が他人に共有される、というのが面白かった。毎日「これは夢では無いか?」と思うことがあって、そういう現実感を失った海外生活の中で、唯一自分の作品で自分と他人が繋がっている、と実感もできた。じゃあ、普段半分「現実なのか?」と疑いながら見ているダブルデッカー(二階建てのバス)の風景と私の作品を合わせてみたいと直感的に思って撮影をしたんだよ。それが、最初の「サイト・サイト・サイト」。
藤田
どこで最初は見せたの?
池田
学校のゼミ、でもすごいウケがよくて、先生が「ありがとう」って言ったくらい!私も自分がそのとき感じている、世界との「違和感」や「連帯感」が、簡潔に表現できた感じがした。
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