toppeople[タムラサトルインタビュー/栃木]
タムラサトルインタビュー
タムラサトル氏

cafe饗茶庵 花蓮 全景
回るワニ、後退する熊、火花をあげる電気回路の接点など、一貫して「意味の破壊」をテーマに作品を制作しているタムラサトルさん。
PEELER11/1号にてレビューを掲載した個展「10の白熱灯と7本の蛍光灯のための接点」の他、昨年末からは地元の栃木県内で立て続けに3つの展覧会を開催するなど、意欲的な活動を続けています。
今回は、栃木県鹿沼市のCafe饗茶庵 花蓮(きょうちゃあん はなれ)で個展を開催しているタムラサトルさんに、高校時代の同級生でもある横永匡史がお話を伺いました。

INTERVIEWER 横永匡史



つきあいでの美術部入部からアーティストへ

横永
こんにちは。
まあ、僕とタムラくんは(栃木県内にある)同じ高校の同級生だったことが先日わかった訳だけど…(笑)。タムラくんは高校時代も美術部だったそうだけど、美術を勉強してみようっていうきっかけは何だったの?


 
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1)「スピンクロコダイル」(1994)
2)「スピンクロコダイルIII」(1997) 
写真/高田洋三
4,5,6)「スピンクロコダイルVI」(1998)
タムラ
もともとはあんまり絵を描くのが好きじゃなかったのね。小学校・中学校は細密描写が上手いことが、絵が上手いことっていう感じがあったじゃない?でも、オレあんまりそれ上手くなかったからさ…。
高校で美術部に入ったのも、友達のつきあいで入ったんだよ。ただ、顧問の青木世一先生がユニークな人で、ここで初めて現代美術っぽいのに触れてさ…。こんなら面白い、やってみようって思ったんだよね。

横永
確かに、先生の作品は後になって見たことあるけど、面白いよね…。で、うちの高校の美術部って、ひたすら絵を描いてたっていう印象があったけど、タムラくんは、美術部ではやっぱり絵を描いてたの?


タムラ
そう。入試のためにね。あんときの美術部って、別名青木塾って言われててさ、そこに来る人はもう画塾に来るように絵を描いては先生に講評を受けて。オレなんかは先生から「予備校になんか行かなくていいよ。行くだけ面倒くさいから。」って言われてて、美術部では入試のためにひたすらデッサンを描かせてもらったっていう感じだったよね。センター試験の前は「デッサンやんなくていいから、その代わり学科やれ。」って言われて、学科の勉強させられたけどね。

横永
それで、筑波大学に入ったんだね。で、作家として活動していこうってのは当時から意識してたの?


タムラ
最初は、漠然と現代美術っぽいことをやりたいなっていうのはあったけど、作家っていうのがどういうもんかわかんなかったから、はっきりとは意識してなかったな…。
意識したのは、大学3年のときの課題で「電気を用いた芸術装置」って課題があって、そんときに「スピンクロコダイル」の最初のを作ったときかな。そんときに、何だか知んないけど「あ、オレこれでいけるな」って思ったんだよ。

横永
あれは、おっきなワニがくるくる回ってて、確かにインパクトあるよね。


タムラ
そうそう。それは自分でも、「すっごいな、これ…」っつって思ったんだけど、当時の僕はそこで勘違いしちゃって、ワニが回るのが面白いんだって思っちゃったんだよね。それで、その後3年間ぐらいは、ずっとワニが回る作品を作ってたの。でも、2個目以降は達成感がなくてさ。「これは違う」っていう思いがあって…。そのうち「あ、ワニ回してる人ね〜」なんて言われちゃうしさ(笑)。
で、後になって自分でいろいろ作品を作っていく中で、これはワニが回ることが面白いんじゃなくて、ワニが前後の文脈が断絶した中にあるってこと、ワニが“何の脈略もなく”出てくることが面白いんだって気づいたの。結局、それに気づくのに3年くらいかかっちゃったんだ。

横永
なるほど。つまりそれは、「前後の文脈から切り離しちゃえばいいんだから、ワニじゃなくたってイケるじゃん!」ってことだね?


タムラ
そうそう。

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つきあいでの美術部入部からアーティストへ
ワニから熊、そして身近なものへ
“大きな男の子”の壮大な遊び
“ちっちゃくて動かないもの”への挑戦
“僕らの世代”の表現




タムラ サトル
http://www.lares.dti.ne.jp/~mm25/tamura/
1972   栃木県生まれ
1991   栃木県立栃木高等学校卒業
1995   筑波大学 芸術専門学群 総合造形卒業

主な個展歴
1998   現代美術製作所 ( 東向島、東京 )
2001   Gallery ART SOKO (下高井戸、東京 )
2004   FADs art space( 国立、東京)
2005   Gallery Q( 銀座、東京 )、out-lounge( 大塚、東京)、GALLERY IN THEBLUE ( 宇都宮、栃木 )、cafe 饗茶庵 花蓮 ( 鹿沼、栃木 )

主な出展歴
1999   「KIRIN CONTEMPORARY AWARD 1999」 奨励賞/キリンビール新川本社ビル ( 新川、東京 ), キリンプラザ大阪 (中央区、大阪 )
2001   「共存 Kyozon 」カムループス市立美術館 ( Kamloops, B.C., Canada )
2002   「ニュー・メディア ニュー・フェイス02」 NTT InterCommunication Center[ICC]( 初台、東京 )
「PHILIP MORRIS K.K. ART AWARD 2002 : THE FIRST MOVE」P.S.1 Art Award/東京国際フォーラム ( 有楽町、東京 )
2003   「 First Steps : Emerging Artists from Japan 」 P.S.1 Contemporary ArtCenter ( New York、U.S.A. )
「 Moving Japansese 」 Kulturhuset ( Stockholm, Sweden )
「 I AM A CURATOR 」 Chisenhale Gallery( London, U.K. )
2004   「時計じかけの夏みかん」ギャラリーなつか (銀座、東京)
2005   「 ピクチャー・イン・モーション DeLuxe 」栃木県立美術館 ( 宇都宮、 栃木 )
「 世界の呼吸法―アートの呼吸・呼吸のアート」川村記念美術館/佐倉市立美術館( 佐倉、千葉 )
「 超(メタ)ヴィジュアル ―映像・知覚の未来学」東京都写真美術館( 恵比寿、東京 ) /アンギャンレバンアートセンター( Enghien-Les-Bains, France )巡回
「 第8回岡本太郎記念現代美術大賞展」川崎市岡本太郎美術館( 川崎、神奈川 )




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