toppeople[タムラサトルインタビュー/栃木]
タムラサトルインタビュー
「フライドチキンコミックス」(2002-2003)

“僕らの世代”の表現

横永
ふんふん、なるほどね。今の「Weight Sculptures」にしても他の作品にしてもさ、タムラくんの作品から感じる「軽さ」っていうのが、何か今っていう時代を象徴してるような気がするんだよね。


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1〜3)「Double Mountain」(2001)
4)「HOT SAND」(2004)
5〜8)「その夜、彼は缶を打つ」(2002)
タムラ
まあ白鳥のようにね、結構軽々しくやってる感じでも、実際の制作では一生懸命足かいてるんだけどね(笑)。

横永
まあ、重くなるっていうのは、結局その分…。


タムラ
いろいろなものを背負ってるからね。それを背負っているのを外してるから軽いんだろうし、なおかつ軽いからこそ作品は面白くなきゃいけない、完成度は高くなきゃいけないっていうのはあって…。
例えば石ころがあって、この石がすっごい意味を持っているとすると、それだけでも作品になっちゃうんだろうけど、そうじゃない石ころだったら、その石ころをよく見せるためにいろんな外的要因を働かせなきゃいけないっていうのはあって、やっぱそれはすごく意識してるね。動きの中でも作品として見せたときにも完成度は高くなきゃいけないっていうか。

横永
今の石ころの話なんかはさ、もの派とかコンセプチュアル・アートとかいう感じで、オレらよりも前の世代が中心になるのかなって思うんだけどさ、そういう考え方っていうのは、タムラくんはどういうふうに見てる?


タムラ
たぶんそういうのってのはさ、流行とは言わないけど、単純に言って反動かなーって気はするんだけどね。多分後の世代になると、意味重視の方になったり、また軽くなったりとか繰り返すんかなって気はするけどね。
まあ、そんな総括するほど歳くってないわけだけど、何か見てると、やっぱそういうのは感じるね…。(大学にいたときにも)そういう“もの派”的な考え方の先生がいて。その反動で、逆にそうじゃない考え方に行ってしまう、っていうのがあるんじゃないのかな。

横永
じゃあ、別にそういうの自体が嫌いとかそういうわけでもないのかな?


タムラ
自分と逆のポジションもあった方がいいと思うし。
好き嫌いというより、違う人違う考え方なんだろう、ということでしかないよね。

横永
なるほどねー。
何かね、今のこの考え方っていうのも、オチのつけ方にしても、“僕たちの世代”の考え方からきているっていうかなー、そういうのを感じるんだよね。
タムラくんは、作品を作るときって、笑いっていうのは意識してる?


タムラ
まあ、最終的に意識してなくても、できあがったものが笑えるっていう感じなんだけどね。
その笑いっていうのも、何かある種の真空状態の笑いっていうか、「何だ、コレ?」って頭の中でぐるぐる回ってくうちに、笑うしかなくなるっていうか、そういう意味での笑いなんだけど、何かこう、オチがカツーンとあって笑うっていうよりは、わけわかんなくなって笑うしかない、みたいな感じのところは狙ってはいるね。

横永
そのへんの笑いの感覚っていうのもさ、何かオレと同じ世代の感覚だなっていうのはすごく感じる。オレらより前の世代の笑いとはなんか違うっていうかさ。


タムラ
そういうのはあるかもしんない。「『オレたちひょうきん族』世代の笑いだね」って言われたこともあるし。ドリフじゃなくてね。ひょうきん族みたいに、空回り空回りして、何かもうぜんぜん面白くないけど笑っちゃうっていうのはあるみたいだけど、多分そういうのに影響を受けてるんだろうね。あんまり感覚的には狙ってるんじゃないけど、やっぱそういうのが面白いって思うんだろうね、何かね。

横永
うんうん、それはなんとなくわかるよ。たぶん作品の中にそういうのがバックボーンとしてあるから、作品を見たときに親近感がわくような気がするね。
で、最後になるけど、タムラくんの今後の展望を聞かせてくれる?


タムラ
作りたい作品のアイデアはいろいろあるんだよ。まあ、話すと思い出すんだけどね(笑)。
ただ、もう自分の中じゃ「意味性の破壊 あるいは 無視」っていうコンセプトは確立されちゃっていて、そのコンセプトの中で、将来も含めた作品全体のラインナップを考えていきながら作品を作っていきたいと思ってるのね。
後で自分のキャリアを並べたときに、見る人が「あー、この人はこういうことがやりたいんだ」っていうふうにコンセプトの全体像を感じてもらえるように、自分の表現の幅を広げていきたいよね。

横永
なるほど。将来のことも見据えてるんだね。
今回は本当にありがとうございました。今後の活躍を期待してます!


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つきあいでの美術部入部からアーティストへ
ワニから熊、そして身近なものへ
“大きな男の子”の壮大な遊び
“ちっちゃくて動かないもの”への挑戦
“僕らの世代”の表現


著者プロフィールや、近況など。

横永匡史(よこながただし)

1972年栃木県生まれ。
2002年の「とかち国際現代アート展『デメーテル』」を見て現代美術に興味を持つ。
現在は、故郷で働きながら、合間を見て美術館やギャラリーに通う日々。




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