top\reviews[タムラサトル個展「10の白熱灯と7本の蛍光灯のための接点」/東京]
タムラサトル個展「10の白熱灯と7本の蛍光灯のための接点」
作品「10の白熱灯と7本の蛍光灯のための接点」
パフォーマンスをするタムラサトル
タムラサトル個展
「10の白熱灯と7本の蛍光灯のための接点」


out-lounge
2005年9月24日(土)−10月1日(土)

著者プロフィールや、近況など。

萬翔子(よろずしょうこ)

1983年福井県生まれ
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻に在籍中

灼き払われる意味
TEXT 萬翔子

 直方体の形に組まれた金属パイプの機構がある。階段状に並べられた7本の蛍光灯と、下部に無造作に配された10個の白熱灯。どうやらこの機構は一つの巨大な回路らしい。シーソーのような金属棒が機構のまん中にあって、張り巡らされた金属線と対峙している。突如、唸るようなかすかなモーター音が聞こえた。ことの次第を固唾を飲んで見守っていると、水滴に飽和した獅子威しのように、シーソーがゆっくりと動きだす。最初下がっていた左側が弧を描き上昇すると、金属線に触れる。
 途端に白い火花が派手に上がり、バチッと音が弾けた。

 タムラサトルの展覧会は、東京、大塚にあるギャラリーout-loungeで開催された。
展示されたこの作品は《10の白熱灯と7本の蛍光灯のための接点》一点である。
 タムラの作品は、具体的な外見を持つオブジェクト、クマとかクロコダイルのレプリカ、スウィングマシーンや、プラモデルだ。それが、突然粉砕されたり、回転したりというシュルレアリスティックな顛末を迎える。そこに、見る者は何らかの意味を見い出そうとするものである。例えば、何らかの社会的風刺だとか、作者にとって印象的な出来ごとの再演だとか、メタファーだとかいうように。
 ところが、タムラは、作品に意味が張り付くことを許さない。彼にとって作品とは、意味の代弁者ではなく、「ただそこに起きる現象」なのだ。
 意味の附随を許さないことは、作品に固定された意味を押し付けることと、必ずしも対義しない。むしろ、作品からあらゆる意味を解釈することをおおらかに許容する現代のアート作品の風潮にあっては、珍しいという点で両者は似ている。もはやそれは、「意味の附随を許さない」という一つのコンセプトの強制である。だから、意識的に、あるいは無意識的に作品から意味をくみ出そうとする私たちの視線の追撃は、接点で発せられる白い閃光に灼き払われてしまうのだ。

 火花を伴う接触によって回路ははじめて通電するようだ。消えていく薄い白煙ごしに、蛍光灯のいじらしい点滅や、白熱灯の光が見える。焼き付きで白濁した視界が回復する頃には接点は再び離れ、シーソーは元の形に戻っていた。明かりも失せて、機構は再び途絶えた無口な回路となる。
 で、数分ごとに繰り返される光景を前に座して、私はそれでも作品から何らかの意味を汲み取ってやろうとしきりに目を凝らすのだれども、背中の無い機械仕掛けの熊の巨体や、高速でターンするワニ、火を噴く洗濯機、プラスチックモデルのモビルスーツの炸裂、そういったタムラサトルの作品に共通する、迫力あるイメージが、たぶん、それを許してくれない。


topnewsreviewscolumnspeoplespecialarchivewhat's PEELERnewslettermail

Copyright (C) 2005 PEELER. All Rights Reserved.