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COLUMBIA RECORDS-air's box 2006/2007
テイスティング・オブ・ドリーム

中島弘惠 Hiroe Nakashima
1987年生まれ
愛知県出身

作品のコンセプト
私は、作品制作の際には、いつも自分の好きなものを使って制作をしています。
私はその好きなものが、『こういうふうになったらもっとステキ・・・』と、空想し、その空想世界を作品で表現しています。「テイスティング・オブ・ドリーム」では、『グミが好きな女の子がいて、そのこがどうにかして大好きなグミをいつでもどこでも食べれるようにならないかと、考えたとき、グミでビキニを作ることを思いつき、それを身に着けていつでも好きなときにグミをつまみ食いする。。。』という、物語をイメージして制作しました。制作の中で大切にしているのは、「すきなもの」を「こうしたい」ということを素直に形にすることです。
私が一番好きなことは「食べる」ということで、「食べる」ことは私のアイデンティティの大部分を占める重要な要素なので、「食べること」と「食べ物」を使うことは大切にしています。また、一見カワイイものに見えるのに、よく見るとグロテスクだったり、エロティックだったり、見えない境界線でその時々で様々に見える作品制作を心がけています。

今後の展開
好きなものを使った作品制作は変わりません。最近は、見えるものの変化と見えないものの変化、その違いについて興味があるので、そういう不思議に思う気持ちを作品に出来たらなと思っています。

あなたにとって表現とはなんですか
私は、「表現」はとても自由なものだと思います。表現は、何者にもとらわれず、形態や、形式などの決まりごとなど一切関係のないものであるべきだと思います。その人その人がやろうと思ったらなんでも、どんな大きなことでも出来てしまうことだと思います。何か形に残すことだけが表現ではなく、形のない音や、行動も表現です。それこそ、生きていること自体を表現だと言ってしまってもなんらおかしくはないと思い
ます。むしろ、今ここで何かしているだけで、既に何らかの表現になっていると思います。生きることは直接表現に繋がること。表現は、人間が生きていく為のツールのようなものなんじゃないかなと思います。


野田
僕がN-markの活動のコアに置いていたのは「シーンの創出」だったのですが、air's boxはむしろ、個々のアーティストのトレーニングといった方向性が強かったのでしょうか?

竹田
トレーニングとは少し違うイメージですね。僕らもやろうとしたことはシーンの創出であることには変わりないです。でなければ広報活動は必要ないですし、ただn-markやその他のギャラリーと違うのは、このプロジェクトでは表現者しかいない構成になっているということでしょう。全員がアーティストなんです。なので展示を外側から見る人はおらず(展示を客観的に構成する人という意味で)、内からつねに拘わっているんですね。作品を制作するように一連の展覧会が創られていく感じです。
また、展示を行うアーティストを個人として考えるのではなくて、チームとして考えている部分も相違点のひとつかと思います。アートの世界は時としてものすごい個人主義の世界であると思いますから、刺激しあうことはあったとしても作品自体を一緒に考えるということは少ないかなと思います。そう言った意味では僕自身としても貴重な体験だったと思います。またそれが表現者として充実したシーンの創出につながったと思います。なのでトレーニングというよりは、今までなかなかできなかった表現を引き出すためのシステムというイメージですかね。学生アーティストで経験がないというのも事実で、普通に展示したら実験的な展示になってしまうだろうなというのは、自分もそうでしたし、そういった展示はお多いと思いますしね。だけれどその学生アーティストでどこまで表現の核心に迫れるかを考えたときに、意見をぶつけあう方が良いだろうなと、それが表現に一番近づくんだろうなと考えました。それはアートの世界で欠けているものなんじゃないかと思います。



グループ展「パプリカ」より 木場仁美の作品展示風景

グループ展「パプリカ」より 新田玲子の展示風景

グループ展「パプリカ」より 中島弘恵の作品展示風景



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