topspecial[2006年、私のBEST3・light note]
2006年、私のBEST3・light note
 

light note

ライト・ノート

light noteとは伊藤正人(文章)と吉田知古(写真)の2人組です。
文章と写真のふたつで伝えられることを探しています。

profile

  light noteの2006年ベスト3は越後妻有アートトリエンナーレから3つの作品を挙げてみました。
新潟コシヒカリのソースカツ丼も美味しかったけれど、この3作品で身も心もお腹いっぱいです。



内海昭子「たくさんの失われた窓のために」

 丘陵地に大きな鉄のフレームが設置されていて、そのフレームには白いカーテンが付けられている。フレームに切り取られた風景の先は、ちょっとした盆地になっていて山の麓の集落が見渡せる。僕たちがこの作品と出会ったとき、太陽の光はちょうど西に傾き、カーテンは黄金色の風に揺らめいて、里山の夕暮れの空気と一体化しているように見えた。
 タイトル「たくさんの失われた窓のために」というのは、もしかしたら地震や大雪で被災したことを言っているのかも知れない。緑の綺麗な里山をのんびり歩いていると、ここで豪雪、そして巨大地震があったなんてなかなか思えないのだが、天災は確かにここで起こり、多くの人や家や、そして風景が失われていった。
 美術や、ましてや人の力なんてものは到底自然の力には及ばないものなのかも知れないが、それでも自然というものにささやかなきっかけを与えることは可能だと思う。そのきっかけで少しでも幸福になることができたのならば、それが美術と人の本当の力なのだろう。


半田真規「ブランコはブランコでなく」

 竹でできた大きなブランコがいくつかの集落に何基も設置されている。祠の前にあったり、小さな広場にあったり、小高い丘の上にあったり、田んぼの真ん中にあったり。ガイドブックの地図にも設置場所は示されていたが、ドライブ中にたまたま発見するという喜びもいい。
 ちなみにガイドブックの解説には「このブランコは集落の大きさや磁力をはかるメジャー、ランドマークであり、その空間は風景と対峙する場となる」と書かれてあるが、難しいことは抜きにしてブランコは楽しい。作品巡りで疲れ、夏の太陽に肌は焼かれ、そんな合間にこのブランコに乗ると、それこそ大地から足が解放されたようで、ゆったりと妻有の風を受けとめることができる。ちなみに田んぼの中のブランコが最高。


原高史「Signs of Memory 十日町学校町一丁目の窓−窓から発するそれぞれの声」

 十日町市の中心市街、平穏な家並が続く住宅地。その家々の窓に発色の良いボードがいくつも貼られ、ボードにはその家の住人にまつわる物語やセリフのようなものが書かれてある。日常とは確かに違う民家の風景がそこにある。
 家の窓というものは本来そこにカーテンがあり、僕たちは家の内部を見ることができない。たまたま開け放したままの窓があれば、僕たちは内部を見ることができるけれど、それはちょっと犯罪の香りが漂うのぞきである。この作品の場合は、その窓から僕たちに向けて家の物語というものを、まさに看板の如くあからさまにさらけ出している。
 ひとつひとつの言葉を読み、物語る家々を見つめていくうちに、家というものに内包された人々の真実をその窓の奥に想像する。さらけ出された言葉の裏側に、妻有の人々の表情が見えるようである。また隣人同士においても新たな表情が見え始めたのではないだろうか。


池永晶子 菅原義之 友利香 野田利也
  藤田千彩 横永匡史 light note インデックス

topnewsreviewscolumnspeoplespecialarchivewhat's PEELERwritersnewslettermail

Copyright (C) PEELER. All Rights Reserved.