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思い出は「あったかい」
藤田
基本的に塗りつぶすやり方なんですか、重ねるっていうか。
安冨
ハッチングを重ねます。
藤田
輪郭をあまり取ってないと思うのですが、描きこんでいく、という感じですか?
安冨
そうですね、写真画質に近づけたいので。
藤田
スーパーリアリズムをねらってるわけでもなくて、細密画をねらってるわけでもなくて、「うまいね」と言われるよりも、「入っていけそう感じ」とかいうような感覚的なものなんでしょうね。
安冨
まったくそうでありたいと思います。
スーパーリアリズムとか、現代のコンテンポラリーとか、スタイルありきみたいな、あるいはスタイルを意識しながら描いてるということは全くありません。
藤田
写真みたいだね、っていうのは、安冨さんにとって傷つく感想ではないのですね。
安冨
そう、全然いやなかんじはしないです。
僕は作品から意図が100%伝わろうが伝わらまいが、自由度をかなり取ってるので、別に構わないというところはあるんです。
僕の描いた絵がその人にとってプラスになると思っていただければ、うれしいです。
藤田
他の人が見て、何って言われます?
「うまいね」って言われるだろうけど、そうじゃない言葉も言われるんじゃないですか?
安冨
ときどき「あったかい」と言われることがあって、僕が描いてるときや写真を撮ってるときにそんな風なことは思ったことがないので、意外です。
僕は「落ち着く」と思う場所を描いているつもりですが、「落ち着く」イコール「あったかい」とつながってないんです。
《手袋工場》という作品は最近描いたものなんですけど、実は夏季休廊中の画廊を描いていて、全然工場じゃないんです。
そこを訪れた時、なにか僕の心に引っかかるものがありました。
写真に撮って、描かざるをえないと思って描くのですが、描く前、あるいは描きはじめの時って、一体自分は何に引っかかって描きはじめたのか、はっきりとは分からないのです。
描いているうちにそれがだんだん分かってきてタイトルとかに決まっていく。
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僕が生まれ育った街、香川県白鳥町は手袋の生産が日本一の町なんですね。
街に大きな工場もあるんですけど、家内制手工業っていうか、家にミシンがあったり、内職をおばあちゃんがやってるような感じなんです。
うちの隣もそうだし、2軒隣もそうだし。
僕は両親が共働きだったので、小学校に上がる前くらいの頃、2軒隣の工場、といってもその方の自宅の一室ですが、に預けられてたんです。
そこには、当時中学校か高校生のおねえちゃんがいて、おばさんがいて、仕事をしていて、僕の相手はしてくれない。
だけど僕には相手してくれない寂しさはなくて、その距離感が落ち着く、ちょうどよい距離感でした。
そこで僕は、働いているお母さんが帰ってくるのを待ってたんです。
そのときの光景と、夏季休廊中の画廊をおさめた写真の画像が、本当によく似ていました。
こういう風に光沢のある床に、縦長の窓、ああ、あのときの記憶なんだ、って、心の中に閉じ込めて、本人も忘れていた当時の記憶がよみがえってきました。
こういった思い出をもっているのは僕だけではない。
誰かを待ち焦がれながらこういった情景を見た、っていう経験は皆もっているんじゃないかな。
情景をあまり具体的に描くと僕にしか分からないことにもなるけど、背景を省略したり、色彩も特定しないモノクロームで、モチーフも特徴のない公共物で、誰もが入り込みやすいものが僕にとっても好ましい。
藤田
なつかしさ、思い出など、人が「求めているもの」を表現しているのはよく伝わります。
だから、共感できるし、入り込める気持ちになるのですから。
具体的にどの作品を見て「あったかい」といわれるんですかね。
安冨
傘とかですかね。
藤田
傘ね、「あったかい」って思いますよ。
それは温度的に「あったかい」というのではなくて、入り込めて、包まれてるっていう感じの「あったかさ」。
あと優しい感じがするので、そこにあったかいっていうのが入ってるんだと思います。
安冨
あ、ああ、なるほどなるほど。
藤田
温度が20℃が25℃になった、温かさじゃなくてね(笑)。
私はそのあたたかさ、好きですし、そこがずっと見ていたい理由ですね。
今日はどうもありがとうございました。 |
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