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うまい、というだけじゃない何か
藤田
ごぶさたしてます。
私は安冨さんの作品を、以前神戸アートビレッジセンターやギャラリー本城で拝見したことがあります。
単純にうまいなあ、と思うよりも、うまい「けどね」、っていう引っかかりがあるんですよね。
安冨
以前のPEELERでもおっしゃってますよね。
藤田
そうでしたっけ(笑)。
鉛筆画なのにとても大きいとか、そういうスケールの問題だけじゃなくて、自分がその場に居合わせたような感覚になるんです。
ずっと鉛筆画で風景を描いているんですか?
安冨
ええ。2001年から鉛筆画を描きはじめました。
最初のころは電話ボックスとか公衆電話とか、誰かとつながっていたいという、そういう思いだったんです。
公共物がいいな、と思って、公衆電話以外にも、公園のベンチとか描いてたんですけど、公共物は「特定の所有者のもの」ということが写り込んでいないので、誰のものでもない。
誰のものでもないならちょっと間借りできる、公共性がある場所なら僕もここにいていい、と安心するんです。
藤田
傘を描いた作品もありますよね。私は神戸で見た傘が、すっごい衝撃だったんですけど。
安冨
同時期に、透明なビニール傘を描き始めるんですけど、そのころ白とか透明な色も、所有者はだれ、といった特徴が移りこんでいない。
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ビニール傘は安価で、貧弱な存在ですが、雨という災難から逃れるための最低限のバリアみたいなものとして、頼りたい思いから描き始めました。
雨にぬれること自体は災難なんですけれども、水そのものは生命をイメージできる。
そういうことから傘も、普通の状態だけじゃなくて、ひっくり返された、さかづき状のものも描きはじめました。
藤田
そういうことなんですね。で、12月14日まで開かれている奈義町現代美術館のチラシをみて、変わったのね、と思ったのです。
公衆電話も、傘も、素敵なモチーフなのに、もう描かなくなる?
安冨
全く描かなくなるかというとそこまで言い切れなくて、また戻ってくるかもしれないし、厳密に決めているわけではありませんけど。
藤田
モチーフが変わるっていうのは、どこからどうやって変わるのですか?
ある日ぱしっと変えるのですか?
安冨
わりとそうですね(笑)。
僕の感覚としては、描きたくなる種類が増えていく。
移り変わっていくというよりは、今までのも継続しながら、次のものへ。
次のものが割合として多くなってしまうので、変わったと見られても仕方がないですけど。
藤田
そういうものなんですね、へえ。 |
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