冨井
ギャラリーや美術館だと、できないこともあるし、作家同士の試みなら、しがらみも少なく、かなり好きなことができる。
そして、折角なら他の人にも見て頂こうと。KABEGIWAはそういうことを実行するために存在しています。
藤田
あと、冨井さんは自主的にトークとか言葉を語り始めた気がします。
冨井
そうですか? でも、自分から進んでやり始めたわけではないですよ。
藤田
それは言い訳に過ぎない気がします。
例えば
CAMPで、今年かなりトークしてるじゃないですか。
冨井
個人的には、僕の作品への理解も遠回しに増やせないかなという思いもあって引き受けたのですけど…。
CAMPは、最初は用意された5回を全部、僕が一人で話すという計画もあったのですけど、ゲストを毎回招く対話形式にしました。
もし、僕が一人で話していたら、僕自身が話すことに興味をなくしていたと思う。
言葉にすることにも意欲的で、かつ良い作家というのは、そうそういないと思うけど、何人かはいますよね。
僕は絶対、そうはなれないので、そういう人達は尊敬します。
岡崎乾二郎さんが凄いのは、語る人以上に語り、書く人以上に本を出して、それ以上に作品を作っている。
僕と近い世代だと、田中功起さんや奥村雄樹さんとか。
藤田
田中功起と岡崎乾二郎は似ている気がしますね。
冨井
ART iTで、田中さんと往復書簡をはじめています。
面白いし、貴重な体験をさせてもらっています。
インタビューも含めて、自分の言葉が、公な場所に残るのは、大変なことですよね。
これからの冨井大裕
藤田
これからの冨井さんはどうなるんですかね?
冨井
この5年間、どうでした?
藤田
冨井さんの体型が太ったようにと思います。
冨井
そうかもしれません(笑)。
体型もそうですが、この5年間で大きい作品がつくれたのは良かった。
所沢ビエンナーレの《ball pipe ball》や、埼玉県立近代美術館「ニュー・ヴィジョン・サイタマ」展の《ゴールドフィンガー》とか。
それまでの僕の作品に比べるとかなり大型のこれらの作品に対して、どういう反応があったのか。
まだ、僕には掴みきれていないところがあるのですが・・・。
藤田
見る人が、じゃなくて、つくり手として、は?
冨井
一応、いくつのときまでに○○をする、という目標を立てていて・・・例えば35歳だと「美術館で展示する」というのがあった。
藤田
埼玉県立近代美術館「ニュー・ヴィジョン・サイタマ」展は、いくつでしたか?
冨井
34歳。
他にも「僕の活動を見続けてくれる人と出会いたい」とか。
そういう人にも幸運なことに出会っている。
あともうひとつ、自分のフォーム、細くても折れない芯のようなものを、40歳までにみつけたい。
藤田
何歳のときに考えたんですか?
冨井
27歳。
藤田
なるほどね。
冨井
そんな感じで、5年前のPEELERのインタビューから現在までを続けている。
あまりかわってないとも思うけど、これからも自分自身を適度に、投げ放すような感じで進んでいこうと思っています。
藤田
なるほどね。
ではまた5年後、お互いどうなってるか気になりますが、またお話を聞かせてください。
今日はどうもありがとうございました!