日用品をつかった作家ではありません
藤田
私はそこを理解しているつもりですが、冨井さんとしては「日用品をつかっている作家」みたいな言われ方をするのはどう思うんですか?
冨井
嫌ですよ、でも、現状的には仕方がないのかな?
でも、日用品をつかっているから面白いわけではない。
僕の場合は、自分の素材として適しているものを選び続けた結果として、現在、日用品を使っている。
例えば、エアーキャップをつかっているのは、エアーキャップがきれいだから。そして、作品で、きれいなように見せているんです。
こういう誤解は僕に限ったことではなくて、身近にあるものをつかった作品が増えれば増えるほど、作り手と見る側の理解の誤差はひらいていくかもしれない。
見ている人も感覚では作家が何をしたいのか気づいていると思うけど、日用品の存在が、作品の理解を安直にしている気がする。
理解してくれている人も増えていると思うけど、もっと増えてほしい。
藤田
そうですね。
みんな「作品の表面」しか見ないんだなとすごい感じるし、それが私には不服です。
不服と言えば、冨井さんにも感じてて、「立てば(作品として)いいんだよ」と言っていたのに、最近は立つだけじゃなくて手を加えてるんですよね。
もちろん一観客として、私は冨井作品の変化もあわせて、楽しみたいから、否定はしませんけど・・・。
冨井
そんなに手を加えている?
藤田
NADiff A/P/A/R/Tでのふせんの作品、なんで曲げたりするのかな、ティッシュをつかった作品も、なんで丁寧に折ってるのかしら、と思ったんです。
折るということに対して、感情や思考が入っている気がしたから。
冨井
ふせんは、いまのところイレギュラーな作品です。
ティッシュを含めた、こないだのNADiff A/P/A/R/T「STACK」展で見せた作品群は、最近、「作品はいつどの段階で作品になるのか?」という問題を考えている中で出てきたもの。
今まであまり積極的にやってなかった異なる素材を組み合わせることとか、試したかったことをそのまま出しています。
ずっと実験的なことばかりで発表し続ける訳にはいかないけれど、最近は意識的にチャレンジすることが多いですね。
藤田
そうなんですね、そういった変化はアリってことですね。
冨井
いまはその時にやるべきだと思ったことを素直にやる時期かなと思っています。
2005年に色々やって、2006年にこれかな?という形にたどりついたときに、でてきたのが、スーパーボールの作品だったのは結果的に良かった。
それ以後、スーパーボールの作品の様なスタック系の作品のバリエーションをいくつかつくってきたけれど、現在はまた色々やる時期。
あと2〜3年で、「これ!」といえる作品が1点出来たらいい、と思っていて、現在はそのための作業。
基本的にはシンプルな構造の作品がいいと思っているから、いつかはどうしようもなくシンプルな作品を作りたい。