前回のインタビューの頃から忙しくなった
冨井
前回のインタビューはいつでしたか?
藤田
2005年の9月でした。
冨井
2005年!
僕にとって重要な一年でした。
この年は全くお金を稼ぐ仕事はしてなくて、そのかわり展覧会はとにかくやっていた。
その一年後、学校で働くようになって、その忙しさもあるのに、展覧会の話も結構あって。
思えばPEELERでインタビューされた頃から、忙しくなっていきましたね。
藤田
どのくらい忙しかったんですか?
冨井
2005年は全部で12本の展覧会をしました。
今も展覧会の話は大小関わらず引き受けるようにしていますが、当時は小さい展覧会が多かったですね。
2004年は作品について悩んでいる時期で、「とりあえずやってみよう」と進めたのが2005年。
その後の作品の元プランみたいな作品をひたすら作って、展覧会に出品していた。
その小さな作品を、元々構想していたスケールに拡大、発表したのが2006、7、8、9年という4年間です。
5年たった今年は、またいろいろとネタを出していく年かなと思ってやっています。
この5年間を振り返る
藤田
案外短かったですよね、5年間って。
冨井さんにとって、この5年間はちょっとずつの変化だったのでしょうか?
と私なりに冨井さんや冨井作品を思い出すとき、そうじゃない気がするんです。
車で走っているときに、道路の小さなへこみを感じるような変化ではなくて、ときどき大きなカーブが出てきたり、大きなくぼみにはまったりみたいな変化を、冨井さんは受けてきたと思うんですよね。
それがギャラリー
αMの「変成態」とか、
「所沢ビエンナーレ」とか、といった展覧会のような気がするんです。
冨井
ひとつひとつを思い出して、どれがどれとは言えないのですが、ちょこちょこした変化をこなしていきながら、走り続けていたと思う。
止まらずに走り続けながら、ぼこぼこの道を走ったり、急カーブを切っていくなかで、走り方自体に変化が出てきた気がする。
藤田
それは車を変えたかんじですか?
それとも自分がうまくなったかんじですか?
冨井
運転はうまくはなっていないけど、アーティストとして、作品を作り続けていくうえで、それまでやってきたことをそれぞれの作品にどう生かすのかをちゃんと考えるようになっているとは思います。
藤田
それはよくいう「次につながる」みたいな意味ですか?
冨井
分からないです。
ただ、ひとつひとつの作品に集中するけれども、以前ほどひとつの作品に対して必要以上の神経はつかわなくなった気がします。
藤田
コツがわかったってこと?
冨井
コツは相変わらず分からないですね。
ただ作品対自分の関係しか見えていなかったのが、今は自分を見ている人たちが以前より見えるようになって、そういった人たちの存在が、制作の思考に入り始めている。
藤田
それって、どういう人なんですか?
冨井
藤田さんも含め、見てくれる人がいるという事実が制作に与える影響を積極的に受け止めるようになったということ。
自分が基本ではあるけど、自分だけで動いているわけではない、と思うようになった。
自分勝手に作っていると同時に、作ったものを少なからず見てもらえる状況があって、その状況が自分の制作に影響を与える可能性を積極的に受け入れている。
例えば展示だと収めるべきところと思い切ったことをするところのメリハリの付け方を今までより意識的にやるとか・・・。
藤田
何か言われたら、やめておく、みたいな?
冨井
例えば、とても多くの人にみてもらえる機会がある場合、きっちりとまとめた展示もいいかもしれないけれど、逆にわがままを通してみることをするとか・・・。
以前だったら、もっと作品に対して神経質だった。
集中して、作りきったものしか発表してはいけないという使命感みたいなものがあったけれど、だんだん自分に「完全にOK」を出す前でも、できる予感があればやってみようという感じになってきた。
藤田
例えば、どれですか?
冨井
「所沢ビエンナーレ」。
当時は学校で働いていて、手伝ってくれる学生がいたからできたということもあるけど、あんな展示場所は普通ないですから、出来る時にやっておこうというのがありました。
これまで展示の誘いは、ほとんど引き受けてきたので、人によっては「冨井はそんなに展覧会をやりたいのか」と言う人もいると思う。
だけど僕としては、引き受けているのはそれぞれの展覧会に試せることがあるからで、僕の場合、展覧会それぞれにある条件や制限が、次の展開を導いてくれる可能性があると思っているんです。
「スーパーボールの作家」と言われない理由
藤田
例えばスーパーボールの作品(《ball sheet ball》)を見た学芸員が、「今度の展覧会でもスーパーボールの作品をやってほしい」という話になって、そういう話が重なって、いくつも展示をしていくと、冨井さんは「スーパーボール作家」みたいな形容になりますよね?
でもそうならないために、画びょうを壁一面に張った作品(《ゴールドフィンガー》)もあるんですよ、と冨井さんが提案するんですか?
冨井
「スーパーボールの作品を展示してください」という限定的な話はないですね。
藤田
あ、そうなんですか。