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篠原資明インタビュー






篠原資明『漂流思考』(弘文堂, 1987)装丁:石原友明




思想と美術


ハガ
当時、篠原先生は相当たくさんのギャラリーを回られていたんですね。

篠原
あの時は京都・大阪・神戸を一人で見ないといけなくって、とても大変でした。京都市立芸術大学の大学院生だった中原浩大も、京都だけじゃなくて神戸のシティ・ギャラリーというところでも発表してたし、わざわざ見に行ったりしましたよ。

ハガ
中原浩大さんといえば、先生の提唱されている概念「軟体構築」は、初期の中原さんの作品のグニャグニャした形からインスピレーションを得たとうかがいました。

篠原
そうそう、当時の彼についての批評で「イマージュの軟体構築」と既に書いてるんですよ(『トランスアート装置』P.220)。当時、デリダの「脱構築(déconstruction)」の訳語が完全に決まってなかった時期で、「解体構築」と訳した人もいたわけです。西洋の場合は概念のヒエラルキーがカチッとあったから、そういうコンテクストの中ではデリダの「脱構築」や「解体構築」って意味があるんだけど、日本でそういうこと言っても仕方ないんじゃないか……もともとグニャグニャなところなんだから、グニャグニャ精神を構築するだけでいいんじゃないかという意識があって、そういうひっかけをしたんです。


ハガ
そういう風に感じられていたことと、中原さんの作品がちょうどリンクしたんですね。

篠原
そうですね。ちょっと言葉遊びの気持ちもあって。デリダ自身が言葉遊び的な概念づくりやってますからね。


ハガ
先生の美術への関わり方は、思想と美術の相互作用というか、先生の言葉でいう異交通が起こっているような気がしますね。

篠原
うまくいくと、そうかもしれないね。「まぶさび」っていう理念をわざわざ掲げているのも、最近の批評の言葉ってどういう美的境地を理想として作品を選ぶのかっていう視点がないじゃないですか。人間がアートを必要とするギリギリのところは何なのかということを、ある程度どこかで考えないと……。

ハガ
美的な指針をしっかりと持って、それを発信していくことが重要ですね。

篠原
そう。なんだか、みんなお祭り騒ぎを目指してるだけみたいな感じがして。小さい物を大きくしただけみたいな作品とか、美的な衝撃力があまりないと思うんですよ。小さいものに敢えてこだわって見せるのも、そういうお祭り騒ぎへのアンチテーゼでもあるんです。小さいほど、集中して精神を研ぎ澄ませて見るじゃないですか。研ぎ澄ませて初めて気付くものに、芸術の根っこがあると思います。


ハガ
今日はさまざまな角度から興味深いお話を聞かせていただけました。
どうもありがとうございました!

 

 
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