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さかぎしよしおうインタビュー
     
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2006年ギャラリエ アンドウにて
作家として続けていくには

藤田
一気に昨年、ぐわーって来た感じがしますよね。

さかぎし
いい親孝行になりましたよ(笑)。
でも、マーケットがけれん味のある作品に傾いていただけで、我々が休んでいたわけではないですからね。ずっとやってたわけですよ。
六本木クロッシングにも僕だけじゃなくて、榎忠さんや吉村芳生さんみたいに、世間はどうあれこつこつやってきていた作家がいたでしょ。


藤田
それをあえて分かってやってる、ってどうなんですか?

さかぎし
関係ないですね。
自分の信じるところをやってるだけだから。


藤田
でも、80年代にパフォーマンスとかインスタレーションという、そのときの流行、最先端を、さかぎしさんはなさってるんですよ。

さかぎし
パフォーマンスとかインスタレーションとか、僕らが作っていたようなところがありましたからね。

藤田
なのに今、マーケット重視な世の中で、マーケットを最先端と言っていいのかわかりませんが、追わないってのはなぜですか?

さかぎし
え?追わなくてもいいから(笑)。


藤田
マーケットは俺が作る、とか思わないのですか?

k
「地・壁・室」展示風景(さかぎしよしおう作品)
さかぎし
僕らが作っていた、なんてもちろん冗談で言ったんですけど、僕がやって来たことというのは、誰でもそうでしょうけど、やりたいからやってきたんです。
最初のチラシ(「地・壁・室」)を見てもらえば分かるけど、結構ストイックでしょう?(画像=k)
地味なところ、人が来そうにないようなところで勝手にやってるし。


藤田
気持ちは昔も今も変わらないんですね。

さかぎし
自分たちが生きていて、今この時間の芸術の問題は自分たちが担当している、ということがそもそもなんですよ。
新しいことをやろうとか、派手なことをやろうとかではない。バブル期に「パフォーマンス」という言葉を広告業界が使い始めたから、パフォーマンスブームになった。
ところが実際に継続的にやっている人はそんなにいなかったから、何か話があれば僕ら6、7人全員に声が掛かっちゃうわけです。


藤田
業界が狭いというか、人がいないってことですね。

さかぎし
今、っていうかちょっと前の感じだろうけど、Hip HopのイベントをするのにCRAZY-Aに話が入ってZEEBRA、ラッパ我リヤ、RHYMESTER、等々とお呼びがかかって、あれMUROは今回休み?みたいな。そういう感じだと思いますよ。


藤田
それでさかぎしさんが考える芸術の問題ってなんですか?

さかぎし
個々の作家によって違うと思うんですけど。
随分前に、宇佐美圭司さんが新聞で「社会に対して、判断を提示をしていくことが芸術の仕事だ」というようなことを書いていたんですね。
僕はあまりそう思っていなくて、芸術それ自体の必然みたいなことがあって、その芸術という次元があることを信じて、そのことに僕らは身を添わせていくだけでいいんだと思います。


藤田
もっと小さいことですか?

さかぎし
もっと大きいこと。
あ、でも危ないなぁ、うまく伝わらないかも。
哲学的にというか、カントっぽく大きいわけじゃないですよ。
例えばアパルトヘイトというテーマの絵画を描く、そんなことで商品は成立するだろうけど、芸術は成立しないと思います。
芸術の問題は、個々の人間が「伝えたい」とか「表現したい」というようなことで成立するんじゃなくて、かといって「芸術は崇高だ」というような壮大なことでもなくて、たんたんと芸術というものに人生を添わせて、普通にちゃんとしてればいい話だと思うんです。信心みたいに。


藤田
わかります。普通に「朝起きて夜寝る」みたいなことと通じていくのでしょうか。

さかぎし
そうそう、無能の人でいいんです。
もの派をアルファベットで書き間違えて「Muno-Ha」。マネとモネみたいにわかりにくいシャレみたいですけど、無能派でいいと思うんです。
だから社会人としての妙な価値観ていうかな、そういうものに対して無頓着でいれば、作家はやっていけると思うんです。


藤田
そういう職業なんだと思えばいいんですよね。

さかぎし
自分がちゃんとやること、それだけでおそらく足りてて、展覧会ができるとか、作品が売れるとか、一生やっていけるのかというのは、たぶん関係ないんです。


藤田
関係ない?悲しくないですか?

さかぎし
ビジネスの話とかを持ち込んで来ると、芸術の問題じゃなくなっちゃうと思う。
いつの世も若い世代は特にそうで、僕だって若い頃はプロとしてやっているつもりでしたから「お金は?」と聞いていました。
でもやっぱりお金のことはあまり関係なくて、芸術に対してちゃんとしているかどうかが問題。
作家としてちゃんとやっていればいいんですよ。
変な言い方ですが、がんばったって、がんばらなくたって、変わらないですから。
僕は学生のころからがんがんやった方だと思うんですが、多摩美の同級生で全くがんがんやってこなかった高柳恵理さんだって、立派に生き残っていますからね。


藤田
80年代のこのファイルを見てたら、いまどこ?っていう人がいるわけじゃないですか。
なんの差ですか。

さかぎし
だから本来的に言って、差もついてないんですよ。いろいろな事情があって、自覚的にやめた人はいるだろうけど。
たいていの人は、一族郎党に反対されて、それでも絵を描きはじめたわけでしょ。
それなのにいつの間にか、大人になるにつれ、お金がないことや社会的なことにビビりはじめる。
シンプルに自分の立ち位置を考えて、当初の美術に対する想いを手前に引きつけて、ただ作れば、作っていられれば人生としては足りているわけですよ。そこをちゃんと全うすれば、ほとんどの人が問題ないはずですよ。
現実に、田舎に帰っても描き続けている友人はいくらでもいますよ。


藤田
最後に貴重なお話をありがとうございます。
シンプルに自分の立ち位置、最近欲張りすぎてたことに気付きました。
それで改めて、さかぎしさんの作品を見ると、修行だな、と。
日々節制して、私も精進します。
どうもありがとうございました!!

 
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