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さかぎしよしおうインタビュー

ロンドンで得たもの


さかぎし
ま、振り返っての思い出話ということだからこんな裏話みたいなことになっちゃいましたけど、そうやって当事者に会ったり色々考えたりして、結局この眼の前に起きている傾向は僕の考える芸術とは関係ないなあ、と判断したんです。
でも世間の流れはそうじゃない方にいってしまった。
というわけで、その後のアートシーン的には僕らは出番がないっていうか、関係なくなっちゃったわけですよ(笑)。


藤田
いやいや、今もなさってるじゃないですか。

さかぎし
そりゃやりますよ、美術をすること自体には疑問は無いんですから。こつこつとやります、アートシーンとは関係ないところでね(笑)。
そうやってこっそりと、こつこつやっている中で、石膏の作品が生まれてきたんです。


藤田
たしか石膏を練ってたときに跳ねた、ということから作品が生まれたんですよね。

g
個展DM(1992年、ギャラリエ アンドウ)
さかぎし
ぴちゃっ、と跳ねた石膏が線になってて、さらに石膏を上に重ねていったら作品が出来たんですね。(画像=f)


藤田
面白いですね。
私は最近の作品しか知らなかったので、カスヤの森美術館のトイレ付近で、去年目にしたときは衝撃でした。
ロンドンは刺激とか受けたんでしょうか?

さかぎし
刺激という意味ではロンドンはほとんど関係ないかな。
それよりもカナリア諸島。日本に戻る前に、アフリカの西側にあるカナリヤ諸島に行ったんですよ。火山島でね、いい場所だと聞いてたから行ったんですが、本当によかった。
「四の五の言ってないでちゃんとしろ。相手にしてやんねぇぞ。」って島に怒られた感じがしました。
動物として忘れていた部分を整えてもらいましたよ。
だから出るとか出ないとか、見せるとか見せないとか、そんなことはどうでもいいんですよ。
ちゃんとしていればいいの。


藤田
具体的にどういうことですか?

さかぎし
日本に戻って最初に西瓜糖(2008年3月に閉店したギャラリーカフェ)に石膏の作品をかけさせてもらったんですけど、これが全部売れちゃったんですよ。
作品が売れるなんて生まれて初めてのことでしたから、「えーっ」と思ってるうちに次の展覧会の話が来るし、出せば売れて手元にはいくばくかのお金がある。
あら、びっくり、自転車操業だけど食いつなげちゃうわけですよ。
インスタレーションとパフォーマンスのころも、若さでがつがつしながらも真面目に必死にやっていましたけど、「ばっちり食えているぜぇ」とも言い切れなかったわけですよ。
それが、仕切り直して素直な気持ちでシンプルに「ちゃんと」やっていたら、世間が美術を続けさせてくれた。


藤田
なるほどね。

さかぎし
そうやっていくうちに、いま渋谷にあるギャラリエ アンドウさんをご紹介いただくことになるんです。



次の転機と土との出会い


f
個展DM(1994年、なびす画廊)
藤田
アンドウさんは私もよく見に伺うのですが、細かく作る作家さんが多くて、凡人からすると本当に拝みたくなるような作品ばかりなのです。
もちろんさかぎしさんもそうですけど、石膏の作品(画像=g)はどうやって作られてたんですか?

さかぎし
溶いた石膏を垂らし引き、ちゅーーーーーっと一層引けるじゃないですか。石膏はすぐ固まるので、その上にちゅーーーーーーっとなぞっていくと、またこうなぞっていくと、ってかんじです。


藤田
何層か重ねてるんですよね。その形はさかぎしさんの意志ではなく、作品から言ってくるんですよね、作品のおまかせなんですよね?

さかぎし
そうなんです。
でも実はこのとき、毎日ぐじゅぐじゅドローイングを描いてて、そういう中から「オレオレー」と言ってくる紙を「あ、お前?」と選んで、形を拾ってました。


藤田
面白い、そうなんですね。

h
個展DM(1997年、ギャラリィK)
さかぎし
石膏のシリーズは96年のアンドウ、翌97年2月のギャラリィK(画像=h)まで発表してました。
ところがそこからポコン、と2000年の暮れまで約4年、また引っこんじゃうんですねぇ(笑)。


藤田
なぜですか?

さかぎし
96年とか97年は、村上隆とか、G7と呼ばれるギャラリー(小山登美夫ギャラリーやミヅマアートギャラリーなど)が出てきた頃なんですね。
さっきの話のデザインみたいな作品から始まって、ネタものやマンガまで出てきたりして、シーンは賑わっているわけですよ。
で、もう、日本の美術がそっちに行くなら勝手にやってくれ、と思ったわけです。
もういい、それなら僕は日本の作家じゃなくていい、と。
画廊にあったファイルも作品も全部引き上げちゃって。


藤田
また作家活動をやめたんですか?

さかぎし
いえ、美術はやるんです。僕は作家ですから。


藤田
どういうことですか?

さかぎし
これで日本の美術界的には、いや言い過ぎかな、画廊界隈的には引き上げちゃうんですけど、僕自身は美術に身を添わせた人生を過ごそうとは思っているわけですから、何かはやっていくんですよ。
繰り返しになりますけど、そこに、美術をやっていくことには疑問は無いんですよ。
さて、これで予定も何も無くなったわけだし、何やろうかな〜なんて思っていると、これまたよくしたもんで、僕を陶芸家の礒崎真理子さんの工房へ連れて行ってくれる人が現れるわけですよ。


藤田
土に出会うのですね。

さかぎし
えぇ。
土自体は初めてさわる材料ですからそう簡単にはいかなくて、1年経って2年経って、どうにもならなかったですね。何かしらは作れるようになってきましたけどね。
例えば石膏でやっていたような形も土でできるようになっちゃいましたけどぉ...。


藤田
それは違いますね(笑)。

さかぎし
そう、全然関係ないですよね、素材が違うのに。
自分の方から動かないで土にご縁が出来たから、必然というか、やっぱり土をいじる日が来たかって思っていたんですけどね。
ぐずぐず2年も土いじりをしていれば、何か変なものは作れたりするんだけど、なかなか僕が考えてる芸術の話にはなってこない。「来た」感がなくて。



 
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