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植松琢麿インタビュー

植松琢麿アトリエのようす

アートシーンの状況とアーティスト


藤田
いまお話を伺ったアートの状況は、10年前とは違うし、10年後も変わっていくような気がします。
アーティストは作品をつくるということだけをしたらいいのでしょうし、アートシーンの変化に対してアーティストが「こびる」必要はないはずです。
でもこうしたアートの状況を、植松さんはどう見ていますか。

植松
2001年から2010年にかけ、誰しもが確認できるほど、さまざまなジャンルで多様化が進みました。
思考の方向は細分化され、フラットな関係性で対象と繋がることができるという感覚的な体験を得て、新たな関係性が生まれています。
その結果、美術、建築、音楽、デザインといったものの方法論的なボーダーはますます曖昧になりましたが、結果それらの本質が違った場所にあることを明確にさせたのではないでしょうか。
それは、世界が獲得しようとしたボーダーレスワールドが、さまざまな人種、文化の摩擦を引き起こしたところに同じです。そんな中で彫刻を問う展覧会も出てくる。
そして2010年以降、日本では東日本大震災もあり、今も原発の問題は続いていますが、新たな関係が生み出すだろう世界の枠組みが模索されているように思います。


藤田
ボーダーレスという言葉は、果たしてポジティブにとらえていいのか迷う言葉です。
植松さんが方法論とおっしゃった作品のジャンル、これはやっぱり線引きがあるべきだと思います。
かたや場所や地域についてのボーダーについては、ノマド的生活をしている私にとって、魅力的に響くのです。

植松
芸術のジャンルに関しては、作家の意識がより重要になってくる。
極端に言うと、同じ像の結果でも、作家のスタンスで作品の意味合いが大きく変わってきます。
いま、11月のデュッセルドルフにあるパン工場後を利用したアートセンターweltkunstzimmerでの展覧会「あなたがほしい」展に向け、鋭意制作中です。デュッセルドルフと大阪という距離において、情報化社会における意識的な距離と物理的な距離との「ズレ」を作品化できないか、兵庫県立美術館の学芸員の小林公さん、映像作家の林勇気さん、オーガナイザーを務めるオープロジェクツの後藤哲也さんと意見を交わしています。

藤田
情報化社会における意識的な距離と物理的な距離との「ズレ」とは、インターネットでヴェネツィア・ビエンナーレのようすを見ることができるようになったけど、実際イタリアへ行こうとすると10時間以上飛行機に乗らなくてはいけないからしんどい、みたいな話ですか?(笑)

植松
簡単に言うとそうかもしれません。
ここでの「ズレ」は、情報化社会で意識的に近く感じられるようになった世界の距離感と、物理的に消耗する移動に関して、です。
グーグルアースのようなアプリケーションが一般化して、重力を越えてマクロ、ミクロの世界を行き来したり、世界中の街中をすぐに見渡せたりできる感覚が普通になって、どんな情報でも得られるようになると、俯瞰的なものの見方も加わって、思考の仕方に影響を与えているように思います。
にもかかわらず、人間は動物です。
いくら精神で満足しても物理的に行わなければならない行為があります。
食事ひとつとっても、毎日かかせないですし、機械に代用され得るにしても、そのための農作物や動物を育てなければならないですし、それらの加工もしなければならない。
激変する地球環境に耐えうるために環境を整備するのではなく、人間自身を改良するほうが早いという見解もありますが、まだ、それは先の話ですね。

藤田
人間を改良だなんて、長期的な話題すぎますね。


[Music Today on Fluxus 蓮沼執太 vs 塩見允枝子]のようす,2013,(国立国際美術館)撮影:舘かほる(右から二番目=植松琢麿)

植松
逆に、現実の刹那な関係性から生まれる像というのにも興味があります。
先日の国立国際美術館で行われたフルクサスのイベントへの参加は、場を考える上で、2001年に参加した時とは違った新たな刺激をもらいました。

藤田
植松さんがサックスを吹いたり、パフォーマーとして活躍している姿には驚きましたよ。
自らものをつくる作家の姿勢と、他人と協働したり、主宰である塩見允枝子さんの指示のまま動くパフォーマーという立場では、物の考え方、受け取り方、そこからの動き方などが違ってきますよね。

植松
場があって、その場が持つ律のもと、さまざまなものが連動して成り立っています。
そして場を身体と捉えると、パフォーマーが出入りしながら流動する像は、まるで生命体のようでもあるような気がして。
結局どれだけ科学や技術が発展しても、精神と身体の問題の差は埋まらない、と僕は考えます。
それでも、関係の所在が変化しているので、ゆえに美術における精神と身体のテーマは未来永劫の命題で、面白い。

藤田
植松さんの作品を取り巻く環境の変化けでなく、植松さんの思考や感じ方によって、次の時代を予感させます。
次の植松さんの展開、ますます気になりました。
また見に行きますし、さらに5年後もお話を聞かせてください。
今日はありがとうございました。
 
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