toppeople[植松琢麿インタビュー]
植松琢麿インタビュー


「AGAIN-ST 2012」展(東京造形大学 CS GALLERY)の展示風景

展覧会について


藤田
植松さんが参加された展覧会として私が印象的だったのは、昨年、東京造形大学で行われた「AGAIN-ST」展です。
保井智貴(東京造形大学)、冨井大裕(日本大学)、深井聡一郎(東北芸術工科大学)、藤原彩人(東京藝術大学)で教えている私たち70年代生まれ世代のアーティストと、愛知県美術館学芸員の石崎尚さんが主宰する展示に、植松さんがゲストに出られていました。
聞いていると、大学で教えるアーティストの話からは「大学は彫刻の技術を学ぶだけの場所」にしか感じず、教員ではない植松さんが提示したコンセプトのありかたや作品の見目形(みめかたち)とは、違いを感じました。


OAP彫刻の小径2011「himan/humor」,2011,(大阪市北区天満橋OAP公開緑地内,大阪)の設置風景



植松
僕もこの時期に「改めて彫刻とは何か」を考える時間が得られたことは、いい経験になりました。


藤田
どういう意味でしょうか。

植松
立体をつくるための新しい素材が誕生し、3Dプリンタのような技術が印刷会社の商品一覧に入るぐらい一般化されています。
例えば、スキャンして3Dプリンタでプリントアウトしたものを彫刻と呼ぶのか、版画と呼ぶのか、映像と呼ぶのかは、作家の意識の問題になってきます。
そもそも粘土による塑像や石や木を彫る石彫、木彫など伝統的な彫刻という行為は、絵画と比べれば肉体的にも大きな負荷があり、制作の時間的なスパンも長い。
その間、精神も継続的に作品に向き合わなければならないので、彫刻家はやはり体力がいる仕事です。
その精神と身体が共振する制作プロセスのあり方に、行為としての彫刻があり、その行為を繰り返すことでしか得られない精神性もあるんです。
そしてやはり彫刻に惹かれるのは、行為の時間を持った立体物が現実世界に存在し、それと対峙する瞬間にワクワクします。
場所や観客との関係性を結ぶことで、質感なども作用して新たな空気感が生まれますし、現実との地続き感を確保したまま、体験したことのない感覚や考え方が呼び醒まされるのです。


藤田
私の勝手な思い込みですが、アーティストは個人的な気付きや自身のミッションがあって作品をつくる、という気がしていました。
でも植松さんの話を聞いていると、展覧会という場所や出来事も、作品に反映されるのですね。

植松
その点では、2011年参加した藤井匡さん(東京造形大学準教授)がキュレーターを務めた「human/humor」は、野外にある「台座」を前提にしたもので、場を前提に考えた作品でもあります。

藤田
搬入・設置のようすは、PEELERで取り上げました。
人体像とか小さな作品を置くための「台座」がある、屋外の場所での展覧会でしたよね。

植松
そうです。
台座に対しては、小品を人の目線に見せるような物理的な状況などは置いといて、芸術作品として制度化する役割がありました。
そして、その後、そのような彫刻の歴史への新しい視点を示す表現の対象物としても扱われてきました。
今回はさらに、台座に飾られてきた人体像に焦点をあて、人体を再現することの不可能性を自覚しながら人体彫刻をつくることなど、人体彫刻の持つパラドックスをユーモアとして捉え、再考する、面白いテーマでした。
僕は葉脈のような血管が巡る人体を、同じフラクタル構造を持つロマネスコに置き換えた作品を制作しました。
後でキュレーターの藤井さんと話す機会があり、「人体のフォルムでない作品が出てきてびっくりした」と言われ、その時に初めて、人体の意味を勝手に拡大解釈していたなぁと、ハッとしたのを覚えてます(苦笑)。


アートマーケットについて



ART BASEL HONGKONG ,2013, installation view

藤田
この5年間で、日本のアートシーンの大きな変化はアートマーケットの存在だと、私は思っています。
前回話を聞いた、たった5年前の日本は、仕組みとしてのアートフェアをつくることや、ギャラリーが海外のアートフェアに参加しはじめていた、という時期だったように感じます。
今やギャラリーにとってアートフェアは参加することが当たり前、アーティストにとっても海外のアートフェアに出る、そして売れるということが、作家や作品の価値基準のひとつとなっていますよね。

植松
2013年の前半は、「ART北京2013」、第1回目となる「ARTマカオ2013」でアジアの若手作家を紹介する企画展に参加、「ART BASEL香港」では、東京都現代美術館のチーフキュレーター長谷川祐子さんがキュレーションを務めたエンカウンター部門という、大規模な彫刻、インスタレーションが展示できるセクターに参加させていただきました。
個展形式のブースや新作を発表するアーティストがいるだけでなく、フェアの特色を出すための企画展があり、フェア自体「作品を見せる」という要素も強くなってきたのではないでしょうか。


藤田
「ART BASEL香港」は見た限り、もはや作品で国や国民性を感じることはありませんでしたね。
日本のいくつかのギャラリーは具体の作家を取り上げていたり、その国ならではとかアジアっぽい作品もあるにはありましたが。
それに普通の時間帯に行って現地の方も多かったですが、同じくらいたくさんの韓国人がいたように感じました。

植松
僕はアジアの作家の面白い作品が多くて、逆にすごくアジア地域の個性が出ていたように感じました。
展覧会を見る意識で訪れるオーガナイザーや鑑賞者も多いように思いますし。広がりのある場になっているのは確かです。
 
前のページへ 123 次のページへ
 



 

topnewsreviewscolumnspeoplespecialarchivewhat's PEELERwritersnewslettermail

Copyright (C) PEELER. All Rights Reserved.