「萌える山田とねこまんま」(2010)Photo:Jingu Ooki
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オル太は多摩美術大学卒業、在校生により結成した11人のアーティスト集団です。
オル太メンバーの一人から「今『オル太』っていうのをやっています。毎月必ず企画展をやるんです」とフライヤーをもらい、「ヒーロー」展(※オル太第三回企画展)を観にいったのが2009年夏の事でした。
初めて観た『オル太』をなんと形容していいのか解らなかったし、今でもよくわかりません。特にその印象を言語化することもできず、よくわからない<熱>と作品達のイメージと『オル太』という奇妙な名前だけが心象に強くこびりついていたのでした。
たった一度の形容しがたい印象を残されたまま、よくわからないけどどうしようもなく忘れられない人にもう一度会いたいような心持ちと、あなたはどんな人なのですかという疑問符だけを抱いて取材の申し入れをしました。
その時、次の展覧会をすると聞き観にいったのが、2010年3月から4月にかけてトーキョーワンダーサイト本郷で行われた「オル太の田」でした。
最初に観に行った「ヒーロー」展の時は、メンバーとゲストアーティストによるグループ展の印象でしたが、ポートフォリオを拝見してゆくうちに、結成一年目の中盤地点から「オル太の田」にいたるまでのインスタレーション作品が、音楽バンドがそれぞれのパートを受け持ち一つの曲に仕上げるように、メンバー各々が自身の創作欲求を消化しつつ、全員でひとつのなにがしかのモ ノを構成しようとし始め、、<日本>を意識的に表層化するようになっていったように感じました。
「オル太の田」会場はまるで舞台のセットのように(田舎というシーン)が入念に組まれていました。
真ん中には土と田んぼ。傍らにカカシ。ウォークラインとしての板床。
ブラウン管テレビからは、オル太作詞・作曲の「稲作音頭」のプロモーションビデオが流れています。
その中で踊るオル太メンバー。壁にはその歌詞、ペイント、黒板。ファミコン、コンビニ、祭壇。
展開されている<田舎・田んぼ>の風景は、郷愁感と過去に感じるエキゾチズムの様な感覚を同時に抱かせます。
そして思考をよぎるのは「日本」というキーワード。
オル太のメンバーが実際に田んぼへ行って田植えをしてきた映像も、会場の片隅で流れていたのですが、それは「私達が日本人であるってなんだろう」ということを、実際の田植えや祖父母(世代)との交流や過去の痕跡から再考する作業のようにも思えました。
80年代生まれの私自身は、戦争も農村も田舎も日本も 主に漫画やTVによってそのイメージだけを与えられたと感じています。
しかし、それに対しては自覚的でさほど信用もしていない世代。
しかし、それを自覚しながら積極的に快感を得ようとする世代であると。
同じ80年代生まれのオル太の「まるで舞台のセットのような」この<リアリティのあるリアリティのなさに自覚的である>ような作品は、同時代のどうしようもないリアルなのかもしれないと思いました。
舞台のセットは〈ニセモノ〉という実感と、〈ホンモノ〉という錯覚の境界線上に組まれます。演劇を観るとき私たちは、眼前で展開されるドラマに対して積極的に「これはホンモノである」と騙されようとし、そこに快感が生まれます。
アキバタマビ21グランドオープン展「萌える山田とねこまんま」展でのインタビュー時の、プロモーションビデオや、メンバーのキャラクターを設定する仕草、舞台のセットを連想させるインスタレーションは、彼らは自らを〈役者〉にしようとしているのかもしれない と思わせました。
〈アーティスト〉が俳優やアイドルやタレントと並列である一側面を、自ら進んで戦略的に演じようとしていると感じ、それが実に快感であったのです。
『オル太』がどのように形成されたのか。何を目指してゆくのか。
他のアーティストグループをどのように意識しているのか。おそらくは彼らにとっての青春であり、自己実現のための集団としての『オル太』とは何か。
「できるだけメンバー全員がそろっているときにインタビューを」という双方の希望により、2010年6月19日アキバタマビ21グランドオープン展「萌える山田とねこまんま」開催時に、「オル太の田」の展示会場で6人(オル太は11人。スケジュールの関係で全員は叶わず)インタビューに応じていただきました。
人数が多いので、ビデオ撮影により記録。オル太作詞作曲『稲作音頭』のプロモーションビデオが流れる会場内で、オル太の田んぼを囲んで井戸端会議のようにお話を伺いました。
※オル太の名前は記事内では、インタビュー時(「萌える山田とねこまんま」展)でのキャラクター設定に基づいた表記。
INTERVIEWER 福田末度加
PHOTO 藤江寛司
オル太結成
福田
前日に井上(メープル)君にちょっとだけ聞きたいことをメールで送ったんですけど、多分誰でも聞きたいようなすごく基本的なところから聞いていこうと思います。
メープル
はい
福田
ではまず・・・『オル太』の来歴を。どういうきっかけで『オル太』が始まったのか、リーダーの白菜金太郎さん(Jang-Chi)が最初に始めようって言ったんですか?
リーダー・白菜金太郎
最初から「オル太やる」と明確に決まってたわけではないんです。
福田
メンバーはどういう風に決めたんですか?
リーダー・白菜金太郎
前々から一緒に展示したりした人、あと制作していくなかでお互いよく影響を受けあっていた人などです。
福田
みんな多摩美術大学で同じ学科だったんですか?
リーダー・白菜金太郎
いや、一人だけ科が違って、ミロかけばばあ(メグ忍者)は、今は油画学科ですが、転科前は芸術学科でした。芸術学科時代のころから何故か油画科在籍者の様にアトリエを占拠していました。
(一同・笑)
福田
声かけする時は、オル太を結成する前から結構仲が良かった人達に声をかけたのですか?
リーダー・白菜金太郎
僕は彼らと知り合って一年経ってないぐらいでメンバー集めたんで、直感っていうのが大きいです。
福田
オル太は去年の・・・
リーダー・白菜金太郎
去年の3月に結成。結成したそのきっかけは、「ギャラリーの壁を白く塗らないか」っていうバイトの話があって、壁を白く塗ってみんな絵の具もらえるからって。
で塗ったら・・・これちょっと自分達で使いたいみたいな(笑)
福田
最初は・・・「壁を白くする・為」のメンツだった・・・(笑)
メープル
(笑)そういう事じゃないっ!
リーダー・白菜金太郎
(笑)その時は他にもいろんなメンバーが白くその壁はしたんですけど。
たっだ場所があったので「ああこういうのやろう」っていう、一つのなんかキッカケみたいにはなりましたね。
葱坊主
大学の外で。
リーダー・白菜金太郎
そう。しかもダラダラはやりたくなかったんですよ。ある程度、意識を持ってやりたかったんで。最初はじまって一応「毎月展示」ていうのをコンセプトに。
最初(オル太メンバー)12名いたんですよ、一人脱退しちゃったんですけど。で、12名いると・・・空いてる人がただ交代で展示やるみたいな、そういうのは嫌だったんでよ。やっぱ自分達がみんなですごいオモシロいと思えることをやって、どんだけオモシロいことできるかみたいな。
福田
せっかくチームなんだからチームならではの事をやりたい・・・。
リーダー・白菜金太郎
そうですね。半月毎月、六ヶ月間連続で5月から11月まで一応毎月展示やりましたね。 |