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中西信洋インタビュー
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  a.《Pileup Motif》(樹脂、アクリル塗料) a_1.《 Lamp bulb - 1》 113 x 50 x 46 cm a_2. 《Car -》 80 x 60 x 60 cm a_3. 《Envelope - 1》 32 x 25 x 19 cm 彫刻の単位展, ノマル・プロジェクトスペース キューブ&ロフト, 大阪(2005.2.26 - 3.26)

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  《Boundary Model 6》 plaster, 59 x 59 x 77cm, 2006 Saturation, 大阪府立現代美術センター(2006.2.15 - 2.27)


彫刻的な物の見方

藤田
お話をうかがっていると、彫刻だけど、物質感ではなくて見え方が大事な要素というのが面白いですね。

中西
でも僕は、自分が「彫刻をしよう」と意識したことは一度も無いんです。
だけど「絵画的じゃない」、「映像的じゃない」という風に省いていったら、 その時残ったのは、普通に三次元の中で生きてるってことだったんです。
そういう普通に生きている世界の捉え方そのものが、「彫刻的な物の見方」って言えるんじゃないかと思って。

藤田
その「彫刻的な物の見方」というのはどういうことですか?

中西
塑造をしていて感じたことなんですけど、全体を引いてみたりすることとか、部分を見たり触ったりしてる行為は、全部すぐに記憶になるんです。
すでに目の前にないものをみているともいえる。物を見ることって自分が見たものの記憶の集積によって成り立っていると思っていて。


藤田
たしかにどんな形か知るためには、いろんな角度から見て、それをもとに全体像を頭の中で想像しなきゃいけないですよね。

中西
うん、僕が塑造の中で繰り返してた「物のとらえ方」って、例えばへこんだ部分に自分の視野をフォーカスしてみたりすることで。(画像b)
「物があって自分」っていうよりも、近くで近視眼的に見たり、引いて見たりして「意識がスライドする」こと自体が、「物を見る」ということかなと思っているんです。


藤田
なるほど。
そういう物の見方って、絵画的っていうよりも彫刻的な気がしますね。

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c.《Layer Drawing - Cloud / Fog》 透明フィルムにインクジェットプリント, 100 x 100 cm x 100 sheets, 2005 The Exhibition of Artists in Residence Program 2005 / Autumn, transformation / metamorphosis, 国際芸術センター青森(2005.10.29 - 11.20) 撮影/山本糾 d.《Stripe Drawing - Tokushima sky》(部分) 鉛筆、紙, 500 x 2017cm, 2008 現代アートによる徳島再見, 徳島県立近代美術館(2008.2.9-3.23) 撮影/森宮英文


中西
その経験が今の《Layer Drawing》(画像c)にも、繋がっていることだと思います。
色が付いてない所を探して撮ると、透明のフィルムではそこが透明に透けるんですよ。だから「ここが空洞になって抜ける」とか立体的に想像しながら撮っているので、同時に画像という道具を使って時間の集積を彫刻化して行くという行為でもあるんです。
それは、一つのものが別の捉え方に変化する可能性を持っています。
《Stripe Drawing》シリーズにも同じことが言えます。
ストライプを左側から順番に描いていて、線を描くことで「何かを付け加える行為」というよりは、線を描くことで「隙間を作る行為」なんですよ。(画像d)
線がいっぱい集まってくるとある図になって、図ができてくると同時に余白ができてきて、隙間と図が入れ替わりながら画面ができているんです。
そういう図と余白との入れ替わりや、図そのものの見え方の変化が、さっき言ったような「見え方がスライドして行く」という事と通じていると思います。


藤田
この作品を見る人も、そうやって交互に隙間を見たり、図を見たり、線を見たりしている気がします。
先ほどの《Layer Drawing》でもそうでしたが、《Stripe Drawing》でも見る人の視点を意識しているんですか?

中西
それはそうですね。
線は全部フリーハンドで書いてるんです。だから線が揺れるんですね。
勢いよく書いてるとか、ゆっくり息を吐きながら書いてるとか、見る人が追体験できると思うんですよ。
森の中で感じた光や空気に触れた感覚を線に置き換える、僕が触れて見る人も触れられるっていうのが、共通にものを感じる為の足がかりになると思っていて。


藤田
見る人が、その線を介して、中西さんの感覚を追体験するっていう感じ。
表してるのはどんな感覚ですか?具体物を描いている感じではないですよね。

中西
こういうドローイングでは、光とか、空気とか、霧の中の風景とか、視覚や触覚、網膜や皮膚、毛穴などで感じているようなものを描いているんです
冬の朝の、キンキンに空気が冷えてすごい霧が出ている日、という例えをよくするんですけど。距離が曖昧になるようなそういう霧が出てる時って、自分の目ぎりぎりまで水蒸気みたいなものが充満していて、身の回りにあるものの距離が曖昧になって、鼻の中まで冷たい空気が入ってきて、自分の体の内側と外側が繋がって溶け出してしまうような感覚を持つときがあります。自分の身体が一つの器官として感じられるような、でも霧が晴れてくるといつもの身体としての表面をもっていて。世界を見る事ってそういうものを行き来をしながら捉えていると思うんです。


 
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  《Stripe Drawing - Halation Air》壁に鉛筆, 300 x 2044 cm, 2008, 中西信洋展 Halation, ノマル・プロジェクトスペース キューブ&ロフト, 大阪 (2008.3.22 - 4.19)

 
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  《Layer Movie》 プロジェクター、DVDプレイヤー, 21min, 360 x 2000 cm, 2007 アートイニシアティヴ・プロジェクト vol.1「Exhibition as media(メディアとしての展覧会)」, 神戸アートビレッジセンター, 兵庫(2007.11.9 - 11.29) 撮影/福永一夫

藤田
うんうん。
《Stripe Drawing》は、遠近感がなくて霧の中にいるような不思議な感覚がします。(画像e)

中西
《Layer Drawing》でも一緒で、ストライプの線と同じように、見る人が身を置き換えられると思うんですよね。
青森の朝日が昇っている作品だと、「朝だろうな」とか「どんな空気の場所だろうな」って、写真見たら想像できるだろうし。
「追体験する」っていうことが、僕が興味を持ってる、他人が感じたものを作品を通じて捉えようとする「美術」というものの見方だったんです。
結局そうなっていくと、元々やっていた塑像や描写などの経験の中にある、「じっと観察する」という行為から気付かされる部分が多くあったように思います。


藤田
なるほど。では今後の展開はいかが?

中西
まずは6月13日から7月18日まで、東京・馬喰町のギャラリーαmで冨井大裕さんと二人展があります。
今は福岡市美術館での展示が2009年8月にあるので、その準備中です。
高さ3m・幅30mのロビーで、5台のプロジェクターを使って《Layer Movie》というタイトルの映像の作品を作っています。


藤田
すごーい。
確か、私がトークゲストで呼んでいただいた神戸アートビレッジセンターの「Exhibition as Media」展でも映像作品を出してましたよね。(画像f)

中西
あの時は、5画面で《Layer Drawing》の画像がそのまま流れてて、全部レイヤーになってましたね。僕が35mmのフィルム使ってアイスクリーム30分待ったのを、皆にも待ってもらいましょう、という(笑)。
今回は福岡で撮影した映像を使い、5台のプロジェクタの同期をとって、全部の画面が一画面になるような場面も取り入れてつくっています。


藤田
それは面白そうですね。ますますご活躍が楽しみです。
今日は長々とありがとうございました。
 
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