toppeople[宮川敬一インタビュー]
宮川敬一インタビュー


今、興味あること


友利
宮川さんは社会や制度に対して、何だか反抗しているというか、盾突いているというか…、私にはいつもそういう風に見えるのですけど、そんなことはないですか。

宮川
反抗はしていないですよ(笑)。
多少ひねくれているのでいろんなことを斜めから見てしまう癖はあるかもしれませんが。
今は、日本の近代化、アジアの近代化とは何だろうかということに興味があります。僕は今でも近代のままだと思っていて、植民地主義であるとか、そういったものが今ないように扱われているけど、今は、日本は戦争をしていないけど、なんで米軍がいるのか、とかまだ植民地化されたままだとか、よその国を経済的に植民地化しているとか、まだいっぱいあるわけで。
もともとの問題は、日本の場合は明治維新というか、日本の近代化をうまく処理できなかったということではないかと思っています。
2,3年前くらい前から外田さんと、美術だけでなくて他のジャンルの専門の人たちや戦前の人たちと話をしたり、釜山とかシンガポールの情報も集めています。
今回はテーマとしては満州が一番面白いなと思って作品を作りました。
まさに移民国家を作ろうとする、軍主導だった部分が大きいのですが、それをいろんな見方を変えて見ることができるんじゃないかなと思っています。
それを今の時代とリンクさせていくということが、今後の作業になってくるんだろうな。
中国とか韓国の人たちと積極的に関わっていこうかなと。そのプロジェクトをやるためにも。
満州が面白いなと思ったのは、さっき言ったように日本の近代化の、戦前の究極の理想、あるいは妄想が満州だったんじゃないか。ああいうフロンティア・スピリッツというかアメリカが作られるように多民族国家をアジアで作る。いい面悪い面たくさんあるんでしょうけど、日本の近代化とかアジアの近代化を考える上で、例えば岡倉天心の「アジアイズワン」、東洋の理想、あるいは孫文の大アジア主義。福岡でいうと頭山満の玄洋社の思想とか。彼らが残したテキストや思想を、読みなおす必要があるように感じています。
戦前は、結局一つのアジアそういうテキストをスローガンにしてアジアに侵略していく。西欧列強からの防衛であったのかもしれませんが。そういう明治以降のアジアとアジアじゃない地域=ヨーロッパ、アメリカとかの関係を見直すことも必要な気がしています。


友利
北九州市って、アジアを近く感じる都市でしょうかね。

宮川
え?宇部とはあまりかわらないでしょ?


友利
いえいえ、私が住んでいる周囲ではハングル文字をあまり見かけないんです。
小倉には国道を通ってくるのですが、下関あたりから突然ハングル文字の標識が現れてきますね。

宮川
北九州は、アジアを近く感じる都市なのかなぁ。
僕は、それぞれの文化圏で成立するものがあってもいいじゃないかなと思っています。
たまたま僕は北九州という九州の地方都市でやってるから、日本と中国、日本と韓国とかではなくて、小倉と釜山とかいうような繋がり方を広げていってもいいと思ってるんです。韓国のアートはなんとなく雑誌などで知ってますが、釜山のことをあまりに知らないじゃないですか。
僕は去年くらいから5,6回リサーチに行ってて、アートスペースやいろんな人と会ってきて、今年はいくつかのプロジェクトを共同でやろうかみたいな話もしてるんだけど。


北九州アートの拠点「GALLERY SOAP」


友利
GALLERY SOAPなのですが、「SOAPに行くよ」と言うと、ここを知らない人は「え?」って顔するんです。

宮川
不純なものを孕んだ意味合いでつけました(笑)。

友利
ベッドも置いてありますしね(笑)。
初めて来た時、興業屋さんみたいなsoap paper(フリーペーパー)がたくさん置いてあって、会場はラウブハウスみたいなのですが、年配の女性がお茶を飲んで歓談していらっしゃる。あれれ、何屋さん?ってカンジでした。

宮川
そうですよ。ギャラリーではないし、単なるスペースだと思っています。


友利
HPには、これは何だろう?と思うものがあったりするのですが、「RE/MAP PROJECT」って何ですか?

宮川
それは、2001年から始めた、毛利嘉孝さん(社会学者/東京芸術大学准教授)と一緒に作ったプロジェクトです。
当時、毛利さんが九州大学にいて、地図、あるいは再地図化といった問題を扱ったプロジェクトですが、具体的には、ちょっと違ったパーティをやった感じですね。最初にやったのはSOAPを一週間24時間解放して、トークや音楽イベント、飲み会などをぶっ続けでやるというかなり無謀だったんですが、多くの人が出入りしてくれました。日替わりで、アーティスト、社会学者、文化人類学者、地図製作者、建築家などのトークと、日替わりの音楽イベントがあって、その後、適当に酒飲みながら延々とディスカッションするといったものです。退屈な人は勝手に他のところで飲んで、朝方、SOAPに帰ってきて寝る、とった感じでした。さすがにスタッフみんなへとへとになっちゃいましたけど。
いずれにしても、よりストリートに近いところで、大学や美術館での授業やシンポジウム、あるいはクラブなどのパーティなどとは違った空間、というかパーティをやりたいと思っていました。まあ、なによりも専門的な知識のある人と、近所にすんでいる若者やストリートのチンピラたちが一緒に飲んだり話したりするのは、とても刺激的でした。
その後は、海外からアーティストや研究者をよんで地図をテーマにした展覧会や、カンファレンス、フィールドワークなどを他の地域でもやりました。
RE/MAPについて話すと長くなりますので、毛利さんが雑誌や本に書いてますのでそれを参考にしてください。


友利
宮川さんは、よく、「都市に侵入するアーティスト」って、形容されますよね。

宮川
え?そうなんですか?


友利
そうですよ。
なんだか、「都市に侵入するアーティスト」という意味が、ちょっとわかってきたようです。
それはですね、私も含めて、みんな、絵葉書みたいな人畜無害な都市生活を求めているではないですか。
無菌無臭の。宮川さんは、いつもその風景の底にある、雑な社会を突いてこられますよね。
しかも、美術館という制度から離れたところで。…あれ?こんなところかな?
これについては、これからの私の課題ということで、宮川さんのこれからの活動や、抱負などをお願いします。

宮川
特に抱負とかはないんですけど、まあ、なんとか活動を続けていきたいと思っています。
直近の予定としては、韓国や中国の人たちと一緒に何かやろうという相談を始めています。
一緒にプロジェクトの文脈を作ることから始めたいと思っています。
個人的には近代化が残した問題を、彼らと考えていけるようなものになればいいと思っています。


友利
たっぷりお話してくださって、どうもありがとうございました。

 
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