「48のネオン」(2003)
「東京」という一地方から
藤田
ちからさんずっと東京ですよね?
ちからさんにとって東京ってどういう街ですか?
松本
父と母が若かったころは、僕が3歳くらいだったんですけど、六本木にいたらしいんです。
藤田
いた、というのは、住んでた、ということ?
松本
はい、今の六本木と違って、のどかであまり喧騒がない町だったみたい。
住んでいたアパートの前にラーメン屋さんがあって、父がそこのラーメン屋さんに「跡をつがないか」と言われていたらしいので、僕ももしかしたらラーメン屋を継いでいたかもしれないです(笑)。
僕の祖父が馬込(まごめ)に家を持っていたので、そこに家を建てさせてもらってからずっと住んでいます。
藤田
馬込、というのは、東京じゃない人からすると分かりにくいかもしれませんが、東京都の南のほうです。
羽田空港よりちょっと上で、田園調布よりちょっと下、みたいな場所ですね。
松本
馬込は下町でもないけれど、かといって、昔の村とかの地形の名残りっていうか、坂がいっぱいある町です。
外国に行ったとき、東京って「街並みや住んでいる人が変わっていくのに、常にその生命力が維持されている場」だなあって思うんです。
藤田
作品をつくる気持ちにも関係がある、影響がありますか?
松本
子どものころから住んでいた馬込に、この先ずっと住む必要もないのかもしれない。
だけど、旅の中ではなく住んでいるという場所、自分がいつも見聞きする場所に、作品をつくる要素がいつもあるような気がする。
藤田
見せることについてはどうですか?
ちからさんが展覧会をしてきたトーキョーワンダーサイトみたいな場所は日本の地方にはないし、美術館は東京にたくさんある。
今回のイベントも、告知もぎりぎりだったのに30人くらいの人たちが集まってくださった。
海外での展示する場所を含めて考えた上でも、この東京で見せること、やっぱり東京って圧倒的な力があると思うんですよ。
松本
以前、外国に住んで活躍されているキュレーターの方と話をすることがありました。
その人に、アメリカの東海岸とか西海岸とかで、日本のアートやサブカルが流行っているが、日本や東京から見て、そういうムーブメントがウケていることをどう思うか、聞かれました。
たしかに日本人がやってきた経緯や素地はあるし分かるんだけど、日本にいても、アートやサブカルについて考えたり気づいていかないと、それに対して本当の意味は提示していけないんじゃないかと、思ったんです。
藤田
それは面白い、たしかにそうですね!
松本
東京、日本、いろんなところ、いろんなイベントがある、活気付いています。
日本人が生活に根ざしてやってきたこと、それを見せるということが、これから結構面白くなっていくというところに、いま差し掛かってるんじゃないかと。
そういう視点を持ち込んだら、外国へ持っていくときも日本の国内でやるときも、みんな何となく気づいてることが集積されると思う。
そういう意味で、僕がつくったとか、ここでつくったとか、声高に言わなくても、面白いと思うんです。
藤田
そんなちからさんがこれからどうなっていくのか、どうしていくのか教えてもらえますか?
松本
4月に、Take Ninagawaというギャラリーで展覧会をひかえています。
長い映画のようなものを分割してつくっていて、今回はその冒頭部分といったところです。
この作品は「映画」というスタイルをとって、いろんなところで上映していきたい。
キュレーターやプロデューサーといった人たちとだけではなくて、作家自身からも違った見せ方を提案したりとか、いろいろ考えているところです。
藤田
今日はありがとうございました。 |