藤田
そういう模造みたいなの、いや、それより、どうやってタノタイガになったんですか?
彫刻出身なんでしょう?現代美術をどうやってはじめたんですか?
タノ
僕は3人兄弟の真ん中で、兄も弟もかわいがられている間だったので、小さい頃から親の気を引こうと、自己主張は強い子供だったと思います。美術、ひいていえば芸術全般に関係している親戚がいたせいか、美術の道に進みたい、やりたいことをしたいということに反対はなかったです。
それともっと言えば、むしろ男三人いるので一人くらいは変なことやっているのがいてもいいって感じでした。色モノ扱い。
藤田
それは恵まれてますね。
タノ
そうです。でも東京造形大へ入ってから4年間はめっちゃくちゃ遊びました。
藤田
制作とかは?
タノ
あまり学校にも行かなかったので(笑)。
在学中、一年間休学してスペインに住んでいました。
藤田
言葉は?
タノ
まったく。
藤田
てゆうかなぜスペインなんですか?
タノ
使える言語が増えればそれだけコミュニケーションとれる人が増えるでしょ?
母国語として、中国語の次に話す人口が多いのがスペイン語だったしその当時は人並みにガウディやダリといったスペイン美術に興味があったのでまずはスペイン語を学ぼうと思いました。
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藤田
すごいですねー。それでしゃべれるようになったんですね。
タノ
そうですね、勉強しましたから。でも最近は使わないので忘れてきてますけど。
日本へ帰ってきて大学を卒業してから、向こうで知り合った友達の家を泊まり歩きながら、アジアヨーロッパ経由で地球一周の旅に出ました。
藤田
目的地は?
タノ
メキシコです。
藤田
着いたんですか?
タノ
はい。メキシコの貧しい漁村の泊まっていた宿でドラッグを作っている親子を目の当たりにしたんです。子供はまだ小学生くらい。
僕は「そんなことしちゃだめだ」と彼らを諭そうとしました。でもね、彼らはそんなことをして生活を成り立たせているんだって思ったんです。僕が怒ったから
といってなんにも彼らの手助けはできない。その土地にはそれなりの事情があり、生活や人々がある。このことは、旅をしている途中、いろんな国で感じることが多かった。僕はそのメキシコでの出来事で「もう日本に帰ろう。日本で僕のできることをやっていこう」って思ったんです。
藤田
ひゃー、それはすごい。海外を知ったからこそ、日本が理解できたんですね。
タノ
「For me, for you」という、赤い羽根で作ったスーツを着て、街頭で私的
な募金を募るという作品があるのだけれどそのコンセプトはカンボジアとタイを経由するときに経験したことがもとになっています。
そうそう、「募金活動」って警察に簡単な届出をしただけで、時給900円に相当するくらい箱にお金を入れてもらえるんです。 |