toppeople[前田さつきインタビュー]
前田さつきインタビュー
「夕闇が待ちきれなくて」、2007年、ボールペン・色鉛筆、29.7×21cm
不思議な世界観の源

藤田
こないだファイルで見せてもらった作品はどろどろしくて、悪く言うとイラストレーションみたいな感じ。
その後見せてもらった実物の作品は、いやらしいような、そそられるような感じがした平面だったんです。描かれる世界が違ってきたのかしら?と思ってしまったのです。

前田
ファイルのは、童話風みたいなものですね。
あれは頭に浮かんだから描いた、という感じなんです。

藤田
例えば写真見ながら描いてる、とか、物語を読んでとか、じゃなくて?描くときはどうやって描くんですか?キャンバスがあります、ボールペンを準備しました、それで?

前田
まず最初にイメージがぼやーっとあって、次にそんな感じを描こうっていうのが浮かぶんです。
今のところ浮かんだイメージがはっきりするまで描かないんですね。
とにかくそれが抜けていって、ある程度頭の中でつかんだら、普通の上質紙に鉛筆にざざっと描いて、感じをなんとなく現実世界で確認していきます。頭に浮かんだものをどう切り取っていくかっていう作業をしていくんですね。
例えばこないだ見ていただいた《刻印》(前ページ一番上の画像)は、横たわってる女の人で、刺青になって、和室、っていうイメージが頭の中で決まってました。お尻のほうからにするのか、真横にするのか、いったんパターンをざっくりと描いていきます。
80号サイズの作品にするなら、その比率に小さくした紙に、そのざっくりしたパターンをマンガのラインみたいに描くんですね。小さくした紙に描き終わったら、拡大コピーして、パネルに写すんですね。
それからようやく本当に描いていくんですよ。


藤田
その拡大コピーする大きさって言うのは、自分のイメージ通りの大きさなんですか?

前田
そうですね、その真っ白なパネルを目の前に置きながら、白い画面に、こういう感じに描くっていうのを照らし合わせていきます。


藤田
すごい大きい画面にするとか、そのままでも、あるいは小さい画面にしてもいいと思うんですけど。

前田
一番最初に、今回80号を描くって決めたら、80号のサイズとして考えます。
でも下書きはA4に描いてて、だけどずっと頭の中でのサイズは80号なんですよね。


藤田
あとはじゃあ細かく埋めて行くっていうか作業するんだ。
空想の時間はどれだけ掛かるんですか?

前田
そのときにもよるんですけど、2、3日で下書きを描いて、パネルに描いていく作業は例えばB全サイズなら一ヶ月くらいですかね。


藤田
どこからアイデアは来るんですか?

前田
景色を見たり、物語を読むなり、映画でもテレビでも見るなり、何かしらあるとは思うんです。
ただ、今すぐ出るかと言われたらすぐには出てこない。
すごい時差があって、出て来てると思うんです。
消化吸収にえらい時間が掛かってると思うんですよね。

「untitled」、2005年、ボールペン、18×14cm
自分が変わることで動きも変わる

藤田
なんで絵を描きはじめたんですか?

前田
小さい頃から絵が好きで、普通に描いてたんです。
小学校、中学校、高校とマンガ家さんになりたくて。
大学受験のときに、美大に行くか普通の大学で心理学をやるか悩んだんですけど、美大に行きました。


藤田
大学を出て、発表とかしてたんですか?

前田
卒業して一年後に個展をすることを決めたんですね。
展示をすると売れっ子作家になると思い込んでたんです。いまはもう無いんですけど、原宿ギャラリーっていうところで個展をやったんです。
すごく偉そうにイラストでもない絵画でもないその真ん中をやってやるんだと思ってたんです。


藤田
それはあえて?イラストと絵画のどっちかにしようとも思ってなくて?そこで例えばイラストのコンペに出すとかじゃなくて、画廊で展示することを選んだんですか?

前田
そんな枠なんて知らない、と思ってたんですよ(笑)。
公募展とかコンペとかに対して、あんまりピンと、というか、分かってなかったんですよね。
それで絵で描いていきたいから、イラストのほうかなと思ったんですね。初個展の反応的にイラストっぽいねっていう声が多かったんで。
イラストで絵を描くっていう、雑誌のイラストくらいしか頭に浮かんでこなくて、雑誌の挿絵みたいなのを持ち込んでみたりとか、あとCDジャケットもイラストのイメージがあったんで、イラスト描きますっていう手紙をしたりとかして。
もちろんなんになるわけでもなく。
でもだんだん貸画廊でも、うちではちょっと違うねって言われるようになったんです。そのときデザイン・フェスタっていうイベントがあることを知って、ひとまず出してみたんです。
手づくりのポストカードとかシールとか作ってみて、出して3回目くらいのときにヨコイファインアートの横井さんと出会ったんです。
ちょうど横井さんに会った頃っていうのは、将来の不安もあって、不安のほうが大きすぎて、絵柄も浮かばない状態になってたんです。

藤田
何に対して?

前田
将来絵ではやっていけないし、OLさんになれるような能力もないし、限りなく中途半端な感じになってたんです。
でもそのときに横井さんに作品を見せに行ったのですが、ド緊張!ちゃんとした方にお会いしてそういうことを言ってもらってるっていう緊張と、これで将来が決まってしまうっていうような緊張がありましたね。
やっぱり絵しかないなと思って、その間も横井さんが以前働いていたギャラリーで展示させてもらったけど、あまり反響もなくて。自信喪失に陥っていき、自分の源がなくなっていったんです。
展示してる場所に行くのも怖いし、人に会うのも怖いし、ちょっとした引きこもりになってしまった。
本当に描こうと思ったら手が震えるくらい描けなくなって、もう無理、1回辞めようと決意したんです。
だけどこのままじゃあ人生がどうしようもないところに行ってしまうと思って。

藤田
辞めようと思った?

前田
なんだかんだいって、決意するのは1、2年掛かってるんです。
自分の精神的な部分が病んでたけど、精神科とカウンセリングに行って病名つけられるのが嫌だったし、薬を処方されるのも嫌だった。
前から心理学に興味を持っていたので「オーラソーマ カラーセラピー」を受けに行って、絵は趣味でいいから、オーラソーマのカウンセラーになろうと思って一生懸命勉強したんですね。
そうやってるうちに気持ちが明るくなっていって、趣味でちょこちょこ描いてたのが溜まったんです。
ギャラリーで展示もして、こじんまりした展示でしたが、数年ぶりに会ったフォトグラファーの友達に「やっぱり芸術を勉強していく同世代の人たちが脱落していくのは悲しいから、もう1回、知ってるギャラリーの人がいるんなら見せに行けばいいじゃない」って言われて。
それでまた横井さんに連絡したら、横井さんがヨコイファインアートとして独立していて、うまい具合にその枠の中に入れてもらったんですね。
それからすぐBunkamuraの三人展の話をいただいたような気がします。あとはもうただひたすらがむしゃらに、現在はちょっと心にゆとりができ始めてる感じです。

藤田
聞いてるとここ数年で、作風は変わらないかもしれないけど、気持ちが変わることによって自分の出し方っていうか、持って行きかたが変わって行ったんですね。
気持ちと連動してるんですね、動きって。カラーセラピーやっていた割には、色が派手とかじゃない、色を使わないんですね。

前田
たぶん小さいころからの生活で、あんまり生活に色がなかったのかなって思うんです。
色の重要性とか、色を使うことでぜんぜん変わることはわかってるんですけど、たまに極彩色みたいな感じも浮かぶけど、まだ出せないんですよね。

藤田
金とか銀のボールペンがあるけど。

前田
そうですね。しっくり来ないっていうか。

藤田
あはは、これからどんどん広がって欲しいですね。今日はどうもありがとうございました。
 

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