小瀬村真美《四季草花図−春秋冬−》(部分)
撮影:長塚秀人
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金田実生 展示風景
撮影:長塚秀人
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諸橋明香《drifting trash and dream island》(部分)
撮影:長塚秀人
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あまりの暑さで群馬の美術館に蜃気楼現る!!
TEXT ウロー直美
群馬県立館林美術館で8/31まで行われている「夏の蜃気楼」。
出品作家は青木陵子、稲垣智子、犬飼美也妃、加藤千尋、金田実生、小瀬村真美、長塚秀人、諸橋明香、安田千絵、古賀あさみの10人。
今回、縁あって稲垣智子の展示を手伝う事になり、展覧会開始約一週間前に、地理的にはほぼ栃木、という群馬県の端っこ館林市に向かう。
東武伊勢崎線多々良駅で下車すると、陽をさえぎるものがなにもない駅前。
車道も歩道も区別のないコンクリートの地面がジリジリと焼けている。
駅員さんがくれた地図を片手に、茶摘み娘でも出てきそうな田園地帯を突き進んでいくと突如現れる近代的な建築物、それがこの展覧会の舞台である。
蜃気楼のように立ち現れる自然の在りようをこの美術館を囲む環境とともに体感してもらいたい、というのがこの展覧会のコンセプトだ。
館内に入って最初に遭遇する自然、となる予定の、稲垣智子の今回の作品を、砂丘のように私は砂を敷き詰める作業を行った。
美術館に到着するとすでに作業員のおじさんたちが砂を運びこんでいる。
稲垣が悩んでいた。
外に置かれていた砂が連日の雨で湿っている、と言う。
という事で、私に与えられた作業は、丸一日砂を乾かす事。
延々と砂をかき混ぜる。
乾かない、全く乾かない。
よく作家は体力勝負、なんて言うけれどある意味展示の準備なんか手伝うとほとんど肉体労働である。
結局乾ききらないまま作業を終え、あんまり役にたてなかったなぁ〜と虚しく美術館をあとにした。
そして展覧会初日、一応手伝ったんだから…とオープニングに行ってみるとそこには広大な砂漠を一部切り取り、疑問符のつけられたオアシスが存在していた。
砂の上には数々の朽ちた電化製品。
小鳥のさえずりや風の音が聞こえる。
大きな白い壁には芝生で寝そべる女性が映し出されている。
その中で何世紀も雨ざらし日ざらしだったかのように砂埃のたかった機械達が浮かび上がり、その違和感が切ない。
前述した今回のコンセプト、"蜃気楼のように立ち現れる自然"を通して私たちが頼りに頼っている文明こそ、蜃気楼のようなものだと気づかされた気がする。
隣は犬飼美也妃の作品が展示されている。ビニール袋の風船が200はあるだろうか。
犬飼の作品設置風景を、稲垣の砂をかき混ぜながら覗いていたのだが彼女はこの風船一つ一つをすべて自分の息でふくらませていた。
あぁ、人間も自然の一部だった。
いわば自然に与えられた呼吸、の展示である。
他には、青木陵子や金田実生のただそこに咲く花を描いていたような作品、諸橋明香の部屋中にホースを巡らせ水があちこちに通っているインスタレーション作品が印象的だった。
自然を「循環」ととらえている印象がある。
自然に負けるものかと闘い、その脅威にみまわれるたびにあがき、コントロールしてやろうとまで思いあがった人間がこれから自然と共生するためのキーワードが「循環」。
ただ自然を讃えるだけでなく、感覚的に道筋を示す現代の作家たちの響演展に思えた。
夏の蜃気楼
−自然をうつしだす現代の作家たち−
群馬県立館林美術館
2005年6月25日(土)−8月31日(水) |
著者プロフィールや、近況など。
ウロー直美 (うろーなおみ)
1983年生まれ。群馬県在住。美学校出身。
現在は絵を描くかたわら、地元の韓国人パブで唯一の日本人として働く。
スリーサイズは上から90cm92cm108cm。
11/5、6に、群馬県前橋市市街地で行われるNPOアートフォーラムにスタッフを兼ねながら出品予定。
「人生って前途多難」とつぶやく日々。 |
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