2010「アイランド」にて
アイランドでの搬入(制作)は、当初のプランを大幅に変更するものとなった。当初描かれる予定のない梁に動物が描かれていたり、泥絵を描くのに余った粘土 で立体作品が作られていた。だがそれは、その空間にきっと最もふさわしいに違いない佇まいなのだ。
「空間が彼にそうさせた」
インドネシアの環境が彼に泥絵を描かせたように、淺井裕介の制作を目の当たりにするとそう言いたくなる。
彼はいつも現場と仲良くなりながら描く。
環境と呼応し彼の目が、手が、身体がその場のその瞬間に作用して生み出される「空間」。
彼の生み出すダイナミズムは森を訪れた時の感覚、巨木を目の当たりにした時の感覚と似ている。
彼の作品のスケール感を目の当たりにして、「もし突然人間が地球からひとりもいなくなったらどうなるか」というシミュレーション番組を見たことを思い出した。
人間の文明都市はそのままに、人間だけが突然消えたら、その後人間の遺産はどうなるかという内容だったのだが、人間の食べ物に依存している生き物…犬やネズミは絶滅してしまうそうだ。だが、猫は思ったよりも人間に依存していないので、すぐに新しい環境に適応出来るという。また、植物は自由に根を伸ばし、巨大建造物をも時間をかけて破壊し、飲み込んでしまうという。
番組のラストでは、シミュレーションの具体的予測証例として、チェルノブイリが現在どうなっているかが紹介されていた。復興に100年かかると言われていたチェルノブイリは、少しづつ少しづつ植物が繁殖し、復興の兆候があるのだという。
淺井裕介の「強さ」の印象は、上記した猫や植物の強さと同じだ。
「淺井さんの強いところは、どこでも根っこが張れるところだと思う」そう言うと淺井は「根っこは自然に生えてる」と答えた。
「根っこは誰にでも自然に生えているもので、そこが強いところじゃない。大切なのはそれをどう育てるかだと思う。枯らすことなく」
淺井裕介は〈どこでも描ける人〉と評される事が多いし、実際に彼の制作を目の当たりにするとそう感じてしまう。しかし、猫は気に入らない場所には居付かずプイとどこか別の場所へ行ってしまうし、植物も環境によっては根を張ることも芽を出すこともできない。淺井がこれまで上手く「適応」して描き続けてこれたのは、現実的に現場と・・・例えば野外だったら、描いた後で剥がせるからと説得したり、美術館だったら場所やスケジュールをできる限り限定されないように交渉して、自分が描ける状況を努力して作り出してきたからにほかならない。
「今でもまだ描けない場所と描けない絵はたくさんある。どんな場所でもどこかにポツンと絵が描ける良い場所と方法がある。どんな人でも何所かしら良い所がある様に。そのポツンとある「良いところ」をどんどん広げていったのが「今」で、でもそれはまだほんの少しの自由」そう淺井は言う。
「つぶれ犬」(C)淺井裕介/2010 |
「徒歩樹」(C)淺井裕介/2010 |
描くこと
「アトリエの中で描くことも、野外に描くことも、アーティストトーク中に描くことも、たいした違いはない、<今描ける/描いちゃいけないわけじゃない>と気づいたから描いているだけで、僕にとってはその「描くこと」は特別な事ではない」
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そう言う淺井の「draw」は、淺井から水を吸い上げて増殖してゆくもののように見える。植物が始めからそういう風に出来ているように、彼もまるでそういう風に出来ているみたいだ。
蛇口を捻ると水が出る。庭の植物が根を張る。そういう当たり前さと同軸で淺井の「描くこと」がある。
そして、『マスキングプラント』も、『泥絵』も、彼の作品の多くは永続的なものではない。
『マスキングプラント』は一定期間の展示の後剥がされ、『泥絵』も一部例外を除いて展示期間が終了すれば洗い落とされる。
彼が生み出すのは「絵画というもの」だけではなく「今日描くこと」なのだ。
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「泥絵・4日目」(NEW WOLD展示風景)(C)淺井裕介2010
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アイランドの搬入(制作)期間は四日間。「この規模では最短」と淺井は言った。作品は<四日目>と名付けられた。
そしてその淺井祐介の四日間という時間の現れは、ひと月ほどで消される。
「いつもそうだけど、この儚い命の作品を実際にまっ正面からみてほしいと思う」と彼は言った。
<あなたは何故つくるの>という問いは、<何故生きているの>という問いに等しかろう。
そして生まれてしまった「作品」は生まれてしまった子供が大人に「みてみて」と見られる事を報酬としているのと同等に見られる事を望んでいる。見られることで、最大限に関係を持とうとするのだ。
<あなたはなぜ生きているの。あなたはなぜつくるの。あなたはなぜかくの。なぜみてほしいの>
答えはきっとこうだ。
<だって、生まれちゃったのだから、仕様がないわ>
泥絵落とし
会期終了後、泥絵を落とす日がやってきた。
土と水は相性がすごく良いらしい。一度水で表面や塊をこすり、スポンジで拭うと思っていたよりも潔く泥は落ちてゆく。
「ジカンノハナ」展会期中、ガラスに描かれた泥絵を一部落とす作業をやらせてもらったことがある。その時は落とした部分も絵の一部として成立していたので、絵を消すというよりは「ペインティング」に近い感覚だった。
彼の泥絵はただ塗り重ねるプラスの行為だけではなく、一度描いたところを落とした部分で成立させる「消しながら描く」要素がある。「ジカンノハナ」展の泥絵は、会期中に何度もその表層を塗り替えられ、日々全く違う顔色をみせてくれた。
「いつもここで終わりという感じがしない。絵を消す時、本当はここからが始まりだったんじゃなんじゃないかと思う、そう思うのはとても苦しいことだけど、でも肉体的にはとっくに限界。」と彼は言う。
何年かけても、もしかしたら終わりはないのかもしれない。彼が絵の中に突入して「たどり着いた」というところまでの風景をいつか見れる日が来るだろうか。
「NEW WORLD」展での泥絵消しは、通常業者に頼む壁のペンキ塗りまでの作業となった。
泥絵は潔く落ちるとは言っても、やはりどうしても本当に薄っすらと壁に痕跡を残してしまう。落とされた壁に、まだ熱を持った何かが残っているようだった。
その上から、白いペンキを塗るのだが、それは絵を消したという感覚ではなかった。泥絵が生まれたところを知っているからだろうか。
「今日彼が描く」という時間軸に彼の「作品」はある。彼の作品はまさに植物と同様に、生きているのだと思う。生き物だから、命があって限りもある。
この白いペンキの下には「4日間」という何某か熱をおびた「生き物」のようなものがあって、ポーの『黒猫』のように、それを「封印した」気がした。
50年後の「今日」
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2009年ジカンノハナ展で、水で絵を描く淺井。
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「オリジナリティ」は奇抜な表層形態ではもはや無い。「個」以上に究極のオリジナルなどあり得ようか。「わたくし」という一回性が土のカタマリのような物だったとしたら、それを削り取って形に「あらはす」のが、絵描きないし芸術家なのかもしれない。それをどれだけの他者と共益出来るか否かは、「あらはれ」と同等に「わたくし」という個の魅力や性質によるだろう。
しかしそのクリエティビティは、各々の「オリジナル」によるもので、ヨゼフ・ボイスの素敵な言葉を借用するまでもなく、<わたしと同じものを、他人はわたしと違う形で持っている>のだろう。
モノやコトとして表出される「想像創造行為」が、それが明らかな五感で感じるカタマリであろうとなかろうと、「個」というどうしようもないオリジナルに還元するのであったら、時間軸に触れないわけにはいかないし、一回性を孕まないわけにはいかない。
「あらはれ」を永続的に何かに定着させる事は不可能と知りつつも、ヒトは「保存」に対して涙ぐましい努力をしてきた。それはモノコト記録のみならず、恋人や友人等の他人との繋がりに対しての保存をもだ。同じものを共有する事が他人との繋がりに対する一番シンプルな「保存」だとするならば、例えばソーシャル・ネット仮想空間の「共有」は人間関係の仮想保存だろう。
圧倒的なスケールで展開されながらも、いずれ消失してゆく淺井裕介の作品は儚く、だから強い。
物質として保存される強さではなく、消失する故に残るモノの強さ。一回性の強さだ。それはとてもシンプルで、いつもそこに在るものだから気づきにくく、それをみつめるための時間も意識も日々の喧騒と雑踏にまぎれて逃げ去ってしまう。
淺井裕介とその制作と作品に接すると、「常にそこに在るもの故に圧倒的な何か」に対して思考を巡らさずにいられない。
それはきっと、力の及ばない何か、例えば自然の力の現れ…大樹や山岳風景や広大な海を眼前に、どうしようもなく涙する事と似ていよう。そしてそれに対してはただ「ああ、うつくしい」と漏らす事しか出来ないのだ。
都会で育った人間には大自然の光景に圧倒される経験はほとんど無い。その代わり、「自分と他人」というどうしようもない一回性やその「あらはれ」である芸術というものに涙し、「ああ、いとおしい」とただ漏らすのだろう。
淺井は言う。
「今 いいね って言ってもらえることも大事だけれど、自分の作品についてだけじゃなくいろいろな事は、50年後の今日、100年後の今日に、僕達の子供達にも考えてもらえる事かどうかが大事」
生み出すのは誰の仕事で、残すのは誰の仕事だろうか。
50年後の「今日」に何が思い出してもらえて、何が忘れ去られてしまうだろうか。
絵描きとして、淺井裕介はいつも「今日」描く。植物が常に「今日」のぶん根を張るように。
「今日」とはいつだろう。
「今日」はいつも「今日」だ。
※本文中敬称略
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