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TEXT 福田末度加/u-nit

随筆ユニットu-nitが出会った[unit]と[〜ist]。

*unit/[名]1個, 1人, (独立した)集団, 一団、(全体を構成する)構成単位、(特定の機能をもつ)設備, 器具, 装置;設備一式
*〜ist/[接尾] …する人

絵描き・淺井裕介の「今日」


「ジカンノハナ」展(2009)


マスキングテープ・土・ホコリ・水・・・。
壁・床・袋・手・足・・・。
絵描き・淺井裕介は画材による絵画(ドローイング)だけではなく、
身近なものに身近なもので、あるいは現場によってそこで採集した素材を使用し、「描く」。

2010年の「NEW WORLD」展にむけた淺井裕介の制作と、その作品を目の当たりにして出てくる言葉。



「ジカンノハナ」展(2009)
 
猫と植物

蛇口を捻ると水が出る。
当たり前に流れる水。
淺井裕介の描くさまをどう形容できるだろう。
 「奏でるように」
 「流れ出るように」
 「話すかわりに」
 「植物が水を吸い上げるのが当たり前すぎるように」
 彼は描く。
 いずれにしても、彼の描くさまと作品は「日常の時間軸の中にあるもの」として捉えられる事が多い。

 展覧会カタログの作家紹介欄では、淺井の作家性は「猫のように」と形容されていた。猫は自分の空間や遊びを「みつける」事、環境に適応する事が得意だ。

 淺井裕介の適応する力は、確かに猫や植物のようである。

1)
3)
2)
1)「ジカンノハナ」展にて窓のホコリに描かれた絵(C)狩野哲郎 /2009 2)時間のかかる芳名・マジカルアートルーム」(C)淺井裕介/2009 3)「手紙に生える植物」・「ジカンノハナ」展(C)狩野哲郎 /2009

 2009年黄金町における「ジカンノハナ」展での会期中、上記した淺井を形容する作家性の佇まいを殆ど垣間見る事ができた。
 彼は「猫のように」描く場所をみつけ、「植物のように」根をはやす。
 窓に積もったホコリに指で絵を描く『おそうじおじさん』(写真1)として、ギャラリーなどに置いてある芳名帳の名前欄へのドローイング『時間のかかる芳名』(写真2)として、淺井宛に書かれた手紙の文字にドローイングを施し、文字を読めなくしてしまう『手紙に生える植物』(写真3)として。
それをなにより楽しい遊びとして発見するのだ。


淺井のマスキングプラント/「ジカンノハナ」展/2009

 
「泥絵・誰のためのお客さん、さて君は?」(C)細川葉子2008

 代表作である『マスキングプラント』や『泥絵』でも同様だ。

 『マスキングプラント』はマスキングテープの上にマジックで植物の絵を描いてゆく作品である。室内、屋外、テープの貼れる場所ならばどこにでも、まさに植物のように根を生やして展開・増殖してゆく。
この作品は、淺井が町の中を歩いていた時、電信柱や郵便ポスト、公衆電話の中など「描いちゃいけなそうな場所だけど、本当に描いちゃいけないのかな」ということを考えて始めたという。
「テープを貼ってその上にペンで絵を描き、植物というモチーフを使えば好きなだけ描いていける、完成がないからどこまでも伸ばしていけるし、最後は剥がしてしまう」という『マスキングプラント』も、描くために淺井が日常の中から発見した手法だ。

 『泥絵』は2008年インドネシア、ジョグジャカルタにおける「KITA!!」展で始めて披露された。地元で採集した土と水だけを使い描かれる壁画である。

 「土を使うという泥絵のアイデア自体は20歳くらいから持っていた。それでも土というのは結構究極の素材で、あまり気軽に扱ってはいけないと思ってタイミングを待っていた。出すタイミングを。30歳40歳くらいで使えるようになれるかなと思っていた」
 インドネシアの様子を幸せそうに語ってくれる彼のその目は、本当に美しいものを見てきて、語りながら再びそれを見ているかのようだった。
 「インドネシアの緑や土や畑をみて、それらがきれいで、本当に緑が力強くてきれいで、よし今やってみよう、今が泥絵のタイミングだと思いました。」

描く場所を求める、あるいは描く場所に求められる「絵描き・淺井裕介」の佇まいは、雪舟の涙で鼠の絵を描いた逸話を想起する。描きたくて描きたくて、手を縛られて画材もないのに、自らの足で、涙を素材に床へ鼠の絵を描いた雪舟の話は、「画家」という者の本質を端的にあらわしているようだ。
描くために描く。それが「絵描き」という者達の宿命なのかもしれない。


「泥絵・誰のためのお客さん、さて君は?」(C)細川葉子2008

千葉県柏市・island(アイランド)「NEW WORLD」展に向けて


 「ジカンノハナ」展会期中、淺井裕介は常に描いている人という印象があった。
 流れ続ける水のように、彼の手からは絵が出てくる。
 電車移動中も彼は描く。淺井裕介の手はなんともお喋りで、会話のかわりに描いていたように思えた。

4)
「NEW WORLD」展のDM

   
マスキングプラントの標本作りをする淺井
「標本」になる前の剥がされて回収されたマスキングプラント

 しかし、柏のギャラリースペースisland(アイランド)での「NEW WORLD」展に向けて準備している間、淺井は殆ど群馬県立近代美術館における「まいにち、アート」展でのマスキングプラントの標本(※)作りに集中し、描く(draw)をしていなかった様に思えた。「ジカンノハナ」展期間中にずっと開いていた蛇口を、閉じている様に感じたのだ。ほんの少し、「NEW WORLD」展のDMや展示計画書等に「漏れ」ていたように思う。 (写真4)



 

 展示終了後に淺井に「あえて閉じていたのですか?」と尋ねると「無意識に」と答えた。「昔は意識的にやっていたように思うけど、今はもう<そういうもの>だから」と。

(※)標本:展示の後剥がされ、「収穫」されたマスキングプラントを、新たな「標本」として絵や彫刻として再構成するシリーズ。


「標本」として再構成された絵

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著者プロフィールや、近況など。

福田末度加(ふくだまどか)
女子美術大学卒業。
http://48699684.web.fc2.com/



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