そしてもちろん、この安全ネットに気づいたら、これまで以上に自由な気持ちで罪を犯すことができるだろう――ごめんなさい、ごめんなさいね、ああ、ほんとうにごめんなさい、というわけだ。 鳥がしなやかに飛ぶように、気軽にその言葉を口にできる。 キラン・デサイ「喪失の響き」より キリスト教の告白と赦しの観念について