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わたしのまちのアート


リスボン/ポルトガル
ひとつのドキュメンタリーフィルムから見える、
ポルトガルとポルトガルアートを巡るあれこれ

TEXT 岡田真由美

ミゲル・クラーラ・バスコンセロス(Miguel Clara Vasconcelos)(*4)


 
 
 
 
(*1 リスボン)
ユーラシア大陸の西の果て、ポルトガルという国の首都。知らない人も多いので念のタメ。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/portugal/index.html

(*2 doclisboa)
2004年からリスボンで開催されている国際ドキュメンタリーフェスティバル。欧米各国をはじめ、アフリカ、アジアなどの国々からのフィルムが上映された(が、台湾、タイ、韓国からのフィルムはあったが、日本のものはなし)。2005年夏、日本でも上映された「皇帝ペンギン」も招聘された。
http://www.doclisboa.org/

(*3 culturgest)
リスボン市内にある“文化センターモ。武満徹を偲ぶ会や、ブラジルの奇才ヘルムート・パスカルのライブなど、独自のセレクトで様々な分野のアートを紹介している。毎年秋には、日本のアニメーションを紹介する“NIPPON GOMAモというイベントも行っている。
http://www.culturgest.pt/

(*4 Miguel Clara Vasconcelos)
雑誌などでも紹介されているポルトガルの新人アーティスト。2005年に開催された「Jameson's short Film Awards European Coordination of Film Festivals」で、「Best Portuguese Short Film」を獲得した。現在、ポルトガルと各国とを結ぶアーティスト・イン・レジデンスを計画中。2007年には“隠れたリアリティ”を探すため日本での滞在を予定している。

(*5 ポルトガルの映画)
ポルトガル映画界において世界的に有名なのは、世界最高齢映画監督のマノエル・デ・オリヴェイラ。2004年にはジョン・マルコヴィッチ、カトリーヌ・ドヌーヴらが出演した「永遠(とわ)の語らい」が日本でも上映され、当時95歳という年齢も話題になった。また、ちょうど同じ時期、リスボン近郊の取り除かれる運命にあるスラムの一室でのできごとを描いたペドロ・コスタ監督「ヴァンダの部屋」も上映された。このような断片的な報告しかできないほど、日本でポルトガル映画が一般上映されることは少ない。また、本国ポルトガルでは、2005年のカンヌ国際映画祭で監督週間にノミネートされた「Alice」(日本未上映)が話題となりロングラン上映された。
 
 
 
(*6 ZDB)
http://www.zedosbois.org/zdbmuzique/index.htm
期間限定リスボン(*1)在住者となって早3ヶ月。
この町にはなにがあるんだろう? それがわからないからという理由、そして絶対なにかあるに違いないという勝手な思いこみだけで、リスボンで暮らすことを決心したわけなのだが。
そんな私がこの地へとやってきたのは文化の香り漂う秋だった。右も左もわからぬまま町々をさまよっていると、コンサートやイベントを知らせるポスターがいたるところに貼られている。そして、導かれるように赴いたのが「ドクスボア2005(doclisboa 2005)」(*2)という国際ドキュメンタリーフィルムフェスティバル。会場は繁華街から少しはずれた住宅街にあるculturgest(クルトゥルジェスト)(*3)という場所だった。

ミゲル・クラーラ・バスコンセロス(Miguel Clara Vasconcelos)(*4)は、私がこの町で初めて会ったポルトガル人アーティストだ。いや、正確にいうと、本人よりも彼の作品「documento boxe(ボクシングの記録)」を通して、ポルトガルという国を見つめた彼のまなざしとの出会いが最初だったというべきか。
ポルトガルでスポーツといえばサッカー。これはステレオタイプで語られることが多いこの国で、決して間違っていない特徴のひとつだ。それなのに、なぜボクシング? その疑問にミゲルはこう答えた。
「60〜70年代、ポルトガルでボクシングはとても重要なスポーツだったんだ。でも、サッカーが人気になって以来、ボクシングは影を潜めてしまった。でも、なぜボクシングに興味を持ったかというと、そこにポルトガルの隠れたリアリティがあると思ったからなんだ」
ミゲルのフィルム「documento boxe」には、こんなシーンがある。
試合前の体重測定の日、ひとりのボクサーが重量オーバーで失格となってしまった。しかし、トレイナーと協会員が話した結果、体重計の上に敷いてあるマットが原因だということになって、マットを取って再測定した結果、合格となったのだ。
また、来年は世界チャンピオンも狙えるといわれているポルトガル人ボクサー、ジョルジ・ピーナは毎日の激しいトレーニングのほか、詩や物語を書くのを好むというライフスタイルも映し出される。そうしたなか、ミゲルが背中の筋肉を見て「羽根をとられた天使のようだ」と思ったという彼の肉体も印象的に捉えられている。鍛えられた肉体、強さという美しさ。けれど、そうした優秀なボクサーですら、ボクシングの裏世界が持つ八百長という悲劇から逃れることはできない。それでもジョルジ・ピーナはあきらめず、またトレーニングを続けていく。
「僕は絵描きではなく“窓”でいたいんだ」
ポルトガル人特有の言い回しで語るミゲルの言葉どおり、彼のフィルムに登場するボクサーやトレイナー、協会の人々は自由にふるまい、ドキュメンタリーにありがちな辛辣さや、なにかを問題提起しようという肩の張りようを感じさせない。そこに映し出されたのは、ミゲルという人の“窓”をとおして見えてきた、ポルトガルボクシング界のおかしくも悲しい現実だった。

ポルトガルのアート、とくにダンス、演劇、映画(*5)には悲しいアイロニーがあるとミゲルはいう。
「アイロニーとは運命を笑うこと、悲しさは運命から逃れられないこと。だからこれらのアートは悪いのだけど美しい。なぜ悪いかというと、初めからどのように終わるかがわかってしまっているから。けれど終わるまでにはいろいろなポエティックな瞬間がある。だから、同時にものすごく美しくもあるんだ」
それはミゲルが自身のフィルムで勝つはずの男、ジョルジ・ピーナというボクサーを映し出しても同じだった。ジョルジ・ピーナは運命から逃れられなかった。運命は負けることでいつも終わる、それはヒーローの死によって。
「でも、僕はたとえヒーローが死んでも、また生き返ることができるんだということを見せたかった。そこから違う物語が生まれてくるのを」

約10年間、演劇の世界にいたミゲルは、当初から人間のリアリティに関する物語に興味があったという。人々に関する本当の話。そしてそうしたリアリティを探して表現するため、2年前、ドキュメンタリーシネマへと転向した。なぜ、それほどまでにリアリティというものにこだわるのか、そう聞くと、ミゲルはポルトガルのことわざを教えてくれた。
“物語を語る人は、点を多めに入れる”
「僕が思うに、真実というのは嘘をかためたいちばんいいものでできている。つまり、リアリティというのは、さまざまなフィクションでできているんだ。けれどもそのどれもがすべてが真実でもある。ようするに、見る人というのは、それぞれで違う見方、考え方をしているでしょ? “物語を語る人は、点を多めに入れる”というのは、同じリアリティでも、ひとりひとりが違う見方をして、違う話し方をする。だからリアリティというのはフィクションでできていると思うんだ。だからこんなにも、リアリティは印象に強く残る」

ポルトガルへは、詩人、小説家、音楽家、哲学者など、さまざまな表現者たちがやってくる。そして今も有名無名のアーティストたちが、この町の水面下で活動している。けれども、そうした状況は、東の果てニッポンまで伝わってくることは少ない。
「それはポルトガルから日本を見たときも同じだよ。ポルトガルの人たちも日本のアーティストをあまり知らない。知っているのは、ロンドンやアメリカからの情報ばかり。小さい国は国外に状況を伝えることが難しいよね。でも、もしもそうした国同士に強いパイプラインができたら……?」
そうした考えのもと、現在、ミゲルは各国のアーティストのため、自宅をアーティスト・イン・レジデンスとして開放することを計画している。
「でも、まだこれはアイディアだけの状態。アーティスト・イン・レジデンスはシンプルではないから。ここに来たアーティストがリスボンのカルチャーセンターとつながるようにしないとね。そして、ポルトガルからもアーティストが各国へ赴き、お互いに現地で作品を発表できる場所も作らないといけないし」
リスボンでは国際的な視野を持ち、若手を育てようとしているギャラリーが少なからずある。“バイロ・アルト”という飲み屋街であり、レコードショップ、雑貨屋、ギャラリーなども集まる地区にある“ZDB(ゼー・デー・ベー)” (*6)というスペースもそのひとつ。コンテンポラリーアートの展示、音楽イベント、ライブ、ダンス、演劇、ビデオフェスティバルなどを積極的に行っているほか、若手アーティストの活動を支えるための助成金制度もある。

1980年代、映画や演劇、音楽ほかポルトガルのアートシーンは“砂漠の時代”が始まったとミゲルはいう。おもしろいことに、それは1975年の革命後、それまで人気を誇っていたボクシングが影を潜めてしまったのとちょうど同じ時期にあたる。この国では、革命前まで3人以上集まることが禁止されるような独裁政治が続いていた。そして、革命後、グローバライゼーションの波はここヨーロッパの西の果てまで押し寄せ、ポルトガル独自で、新しく育てなければいけなかった文化の芽が、抑圧されていた分、他国の文化のなかへと一気に飲み込まれてしまったのだろう。
それは今からたった30年たらず前のできごと。
テッポウデンライ、フランシスコ・ザビエル、サッカー、ファド、サウダーデ……。ステレオタイプだけで語られ、リアルタイムの情報がほぼ伝わってこないポルトガル文化の今。それはファー・ウェストからファー・イーストまでの地理的な距離の遠さによるものだけではなく、この国に暮らしていても、すぐには見えてこないほどの緩やかなざわめきでしかない。けれども、水面下ではいろいろな準備がなされ、マグマのようにうごめいているのが徐々に感じられるようになってきている。
ポルトガルと日本の太いパイプ作りを応援しながら、今後ともポルトガルのこうした活動を見続け、報告していけたらと思う。

*special thanks
通訳:Aya Koretzky

石畳のリスボンの町を市電に揺られたり、ケーブルカーに乗ったりと、行く当てもなくぶらつくと出会うのが街角のポスター、そして何気なく入った店で見つけるインフォメーション。
決してガイドブックには載ってないそれらの情報をもとにすれば、今、生まれつつあるポルトガルアートの息吹が感じられるはず。
   


著者プロフィールや、近況など。

岡田真由美(おかだまゆみ)a.k.a. kaya(カーヤ)

1972年町田生まれ。
もの書きで、音楽家。
サックス&フルーティスト。
kaya〜カーヤとして、エスペラントな音楽集団Double Famousやってます。
(が、ただいま休止中)
書いたり考えたり編集なんかをしている仕事としては、産経新聞社発行
「metropolitana」、ニーハイメディア発行「paper sky」ほか、旅行、町、おも
ちゃ、ペット、インタビューなどいろいろ。
05年10月からポルトガル リスボン在住。リスボンの日々、ポルトガル カルチャーを
綴るblogもやってマス。
http://blog.livedoor.jp/monkey_monkey1999/





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