《hundreds of boots》志村信裕
《hundreds of boots》志村信裕 (c) Michihiro Ota
《hundreds of boots》志村信裕
《hundreds of boots》志村信裕
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美術鑑賞とは美術作品を鑑賞する行為であるが、その今回で15回目を迎えた秋吉台国際芸術村のアーティスト・イン・レジデンス事業には、61ヶ国423組の応募の応募があり、7ヶ国9名8組のアーティストが選ばれた。
日本勢の安西剛と志村信裕は、独自の概念と日本最大の鍾乳洞に満ちる「人間の力を超えたもの」を一筋一筋丁寧に縒り上げていき、美術作品へと見事に昇華させている。
芸術村の中庭は、建物で空や山を大きく切り取られた空間で、まるで宇宙とこの場が交信しているかのように感じられる。大理石の雛段(階段)がさらに儀式めいた畏れを感じさせ、霊威をも感じさせている。
志村信裕は、この中庭に地元から100人分の長靴を集めて制作した「ろうそくの長靴」を展示した。「ろうそくの長靴」は、内部をろうで型取りしただけではなく、空洞部分を残し、さらにその空洞に数回に分けてろうを流し込んでいるので、「ろうの層状」が形成され、1足1足がひとつの洞窟生成物として成立する。(※注)また、自然と人間とが関わる場面に登場する長靴は、泥の大地に立ち、生きる人間を想起させるのに十分な品である。
展覧会初夜、「ろうそくの長靴」に火が灯された。ろうそくの灯火は、個人の歩みを紡ぐように、どれをとっても異なった様相で揺れている。ろうそくの光はスポットの光とは異なり、その場所から立ち上がる原初の光である。温かい。長靴の形やサイズ(大人から子供サイズまで)は様々で、ここで暮らす家族や集落の灯火すら想起させる。一体、ここにいくつの時間と体温があるのだろうか。やがて灯火も終焉を迎え、中庭空間は「時間の饗宴」の余韻に満ちる。
翌朝になると、外部は蝋が垂れ流れ、内部は窪みで入り組み、鍾乳洞さながらの様相に変容した「ろうそくの長靴」に日が当たる。太陽の時間(太陽周期)を身に纏った長靴は、焦げた芯をかすかに臭わせている。太古から続く時間の堆積と人が暮らす時間の堆積とがここにある。
※注)「秋芳洞の百枚皿の堆積した時間の層から着想した」(作家コメント)
《Strangers In the Attic》安西 剛 (c) Michihiro Ota
作品側面の画像。(当日はドアが閉められているため、見ることはできない) |
《Strangers In the Attic》安西 剛 (c) Michihiro Ota
観客は2階通路から下方を覗き込み見る。
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秋吉台国際芸術村のホールは、鍾乳洞をイメージして設計されているため、客席や通路は入り組み、他のイベントホールには見られない構造になっている。安西剛はそのデッドスペースをうまく使い、日用品とモーター、LED、不織布などを用いて、未知のことがらと、情報の欠如によって揺さぶられる人間の意識との関係を探らさせた。
会場入り口で観客は、場内が暗くて足元が見えないこと、不気味な音(モーターが回る音)と点灯する光を感じ、暗闇に何かが潜んでいるのではないか、不意に何かが飛び出してくるのではないか、順路を進むとどうなるのか?など予測不能であるため入場を躊躇する。
通路を進み下方からの光を先を見ると、布に影絵のような幻想的なシルエットが映し出されている。布は不透明な不織布で、覆われている物は日用品とLED。しかもそれらはあちこちで回るような仕掛けが施してある。故に、作品全体が「今」という民話を紡ぐ糸車のようなのだ。しかし、見入って油断していると、突然モーターが止まり、深い静寂の闇が落ちてくる。観客は、視覚・聴覚・皮膚で必死に周囲の気配を嗅ぎ取ろうとする。(LEDは、2分間の点灯・回転、3分間の消灯・停止を繰り返している。)
安西は「秋吉台のカルスト台地に立った時、足の下に無数に広がる洞窟の気配を感じ、未知なるものに想像を掻き立てられた」と言う。日常に潜む見えていないものや予測不能なものの情報の空白部分を、その気配への恐れ・不安・興味・好奇心などで補完している人の意識を、台地(通路)と地下の鍾乳洞(作品)に見立てた空間を設え、体感させていた。
《Inside》(全11組中の1組) フランス・デュボア
ベルギーの写真家・フランス・デュボアは、山口県の住民11組の家族や個人を訪問し、家族の大切な思い出や歴史について家族アルバムから選んでもらった写真を見ながらインタビューをした。展示では、家族の個人的な写真とデュポアがそこで撮影した写真とを組み合わせて構成したものを作品として発表している。古い家族の写真と作家によって撮影された写真が、等価で馴染み合った作品は、「土地の歴史とは、その土地に住む人々の個人の記憶の集積から成り立っている」という作家のコンセプトを超え、(アーティスト(美術)から地域住民への接近ではなく)住民からアーティスト(美術)へ近づこうとしている住民の意思をも写し出している。住民側から見た芸術村の存在をわかりやすく示した作品である。
芸術村には1998年の開館以来、多数のアーティストがやってきた。彼らは50日間滞在し、どんど焼きや秋吉台の野焼き、学校授業などの参加を通して、地域の風土や人々と交わる中で作品を生み出していく。住民が体験する作家との交流も、今回で15回目を迎えたのだ。