「アーティスト・イン・木町ハウス」は、NPO法人山口現代藝術研究所(YICA)が、90年代(日本にアーティスト・イン・レジデンスというシステムが認知され始めた時代)から継続的に実施している活動で、peelerでは2009年狩野哲郎氏のレジデンスの様子を
報告したことがある。(※注1)
今回招聘されたのは村山修二郎。村山は、人々が山と共に暮らしている山口の景(※注2)を、「緑画」(村山による造語)で表現した。「緑画」とは、制作場付近の植物を採取し、手で直接紙や壁に擦りつけて描くという村山自身が確立した技法である。その汚れのない純朴な質感は、大きな宇宙へも小さな宇宙へも無限に広がるいくつもの時間の景を見せている。
≪山口から中国へ、中国から山口:雪舟へのオマージュ≫
≪水生:今回の緑画で使った主な植物を水に浸す≫
≪箱庭:緑画で使った植物のかすを集めた≫
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村山はその時その場のインスピレーションに任せて描くため、下絵は描かない。また植物の汁は、ものに固着した瞬間から色彩が変化していくので、短時間で描ききらなければならない。しかし、心は悠々としているのだろう。襖に描かれた山々の連なる稜線は永遠に続く時間を十分に含んでいる。
畳には制作に使った植物の残骸が散乱している。それは作家の身体性や襖に固着した草汁とその母体との関係、人が作り出すことのできない自然のものと作家との生命 感あふれるプリミティブな干渉など様々な出来事の「残り香」を併せ放つが、森羅の中に人間を滑り込ませることで、この会場を「現実としての盆地空間」として提示することができたのではないだろうか。
四季山水図をレパートリーとしていた雪舟に対して、村山の「緑画」は(時間の経過と共に色彩が変化することから)季節のうつろいを生身で表現する「生きた絵画」である。この壁の絵も日にちが経つにつれ、冬枯れの色彩へと変化するという。
今回の「緑画」に使用した主な植物を水に浸した≪水生≫と、使用した植物のかすを集めた≪箱庭≫。植物の汁の状態、水に浸した状態、汁が無くなった状態など、植物のどの状態を持って「生」というのか、「死」というのか?などと考えながらそれぞれの色彩の状態をみていく。わかるのは、「大地の草を少し分けていただき、感謝し、描く」という作家の自然への愛。《箱庭》は使用したの植物のカスとは思えない新鮮さと形が印象的である。
カーテンのない廊下には、冬至に近づく日差しが差し込んでいる。人が住むこの場所は、壁や襖に固着した植物の汁の変化、床に落ちた植物の変化、小皿の植物の変化、葬られた植物のカスの変化、それらを照らす太陽のサイクル、月のサイクル、四季のサイクル、山々のサイクルなど自然界のものそれぞれに運命づけられたサイクルが静かに流れている。山口の盆地空間を象徴する作品であった。
私が作品を見たのは展覧会初日で、会場全体にまだ緑の瑞々しさが匂い立ち、生を謳歌していた。最終的にどうなるのか村山に問い合わせてみたところ「時期が冬ですので、大きく色彩の変化はないかと思います。描きたての色彩よりは少し落ち着き、薄く茶、淡く変化しはじめている状況かと考えます。最終的には、淡く茶と黄がかった渋い雰囲気になると思います。まさに冬の景色に。」と回答をいただいた。「緑画」のラストシーンが楽しみである。
※注1)山口現代藝術研究所(YICA)は、1980年代〜90年代にはトーマス・シュトゥルート(Thomas Struth)やダン・グレアム(Dan Graham)などの現在世界的に活躍する超一流のアーティストたちを山口に招聘している。
アートイン木町プロジェクト「つなぐ」'09『山口盆地午前5時』
http://www.peeler.jp/review/0911yamaguchi/index.html
※注2)山口盆地はさほど広い盆地ではないため「山に囲まれた感」を非常に強く感じるまちである。村山は、「これだけ山に囲まれた場所に来たのは初めて。山が近い。手で触れられそうな山。劇的に変わる景色は、生きてる証拠。何かに守られているような感覚。ふわっとした、あたたかな山。そんなやわらかな感覚を描いた。」と述べている。