《PLANET ICON(2000年後に発掘された招き猫の化石)》、2012年、photo by Micihiro Ota
ワークショップ作品《2000年後の化石絵巻》、2012年、photo by Micihiro Ota
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イタリアのポンペイ遺跡や広島県福山市の草戸千軒遺跡に触発され、「2000年後から見た現代社会」をテーマに全国各地で展覧会や大がかりなプロジェクトを展開している柴川敏之。その柴川にとって2年ぶりとなる個展が、秋吉台国際芸術村で今夏開催された。
秋吉台国際芸術村は、化石採集場(大嶺炭田の一部であった奥畑露天堀跡)や秋芳洞を有する美祢市に所在する。芸術村そのものが、果てしない時間とその時間から生まれてきた自然を感じさせる環境にある。この地が持つ「本物の悠久」に「アート」がどう挑むのかーまさに柴川にとって、創作意欲を掻き立てられる地であったに違いない。
会場入り口の階段。この階段を一段、二段・・・と上がっていくと、壁にさりげなく点在している≪2000年後に発掘された蚊取り線香の化石≫が目に入ってくる。それらは、アンモナイトのようでもあり、今、自身が立つ地点と見知らぬ次元、異次元同士が交錯する渦巻きのようでもある。その不穏な気配に、少々腰が引けるが、階段の上から≪2000年後に発掘された招き猫の化石≫に「おいでおいで」と手招きされ、後戻りはできない。
太い柱が並び、壁の対面の大きな窓から西日が差しこむ展示室は、細長い通路のような構造である。柴川はこの状況を逆手に取り、柱を坑木と見立て、階段をも展示会場として組み込んでしまう。すると、まるで炭鉱の坑道、あるいは洞窟に居るかのような錯覚を呼び起こされるのである。
この設えは、美祢市の化石収集場や鍾乳洞と呼応している。こうした意味合いから、観客は壁に展示された絵画や地球儀の化石と、床に置かれた≪2000年後の化石絵巻≫の間を通りながら鑑賞するのがベストだろう。壁と床の作品は呼応し、地層の断面の間を通るようである。
窓から見える山々は、土や水のイメージを会場に持ち込み、差し込んでくる太陽光は、太陽周期や地球の自転などの宇宙の時間を意識させている。
ワークショップ「2000年後の化石を発掘しよう!」の様子、photo by Toshiyuki Shibakawa |
展示風景(手前はローラー拓本によるワークショップ作品)、photo by Micihiro Ota |
子どもたちとのワークショップで制作された≪2000年後の化石絵巻≫。200mもある帆布を巻いている軸は、地球の基軸、時間の正体の在り処、時間のへその緒のように堂々としている。拓本は、雪舟の≪山水長巻≫に着目した趣で、非常にしっとりとした質感だが、内部はパソコンやハンガーなど馴染みの物たちで、ざわついている。災害であろうと事故であろうと全てを呑み込み、綿々と続く時間を、この絵巻は教えてくれる。「一単位2000年」という柴川の思考は、イメージし難い。しかし、ワークショップでの発掘作業を通じて、(過去にも未来にも際限なく続く歴史に)「今」という一通過点と、「2000年後」という着地点を打つことで、展覧会の意図を体感することができる。
《PLANET OBJECTS(2000年後に発掘された電気スタンド・パソコンのマウス・ゲーム機のコントローラーの化石)》、2012年、photo by Micihiro Ota
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《PLANET WALL(2000年後に発掘されたトロフィーの化石)》他、2012年、photo by Micihiro Ota |
柴川がイメージした「2000年後の化石」は、土砂に傷つき、埋もれ、浸食、流され、堆積し、水と土が食い込んだ肌を持ち、破壊・堆積・褶曲などの天変地異や人的災害、土・水・風・熱などが渦巻くエネルギーの姿をしている。これらが単に「発掘されたもの」「過去の時間や文明を背負うもの」に止まっていないのだ。それは、破壊と再生を繰り返す宇宙の風景、つまり生きている時間の風景ではないか。こうした質感を含め、作家は「ひとつの絵画表現」と言う。
例えば携帯電話は、表面を削り、欠けさせていく。そこに、身近な所や各地で採集した土や鉱物などから作りだした特製の顔料で、2000年後のイメージを、まずは「一層描く」。そして、一週間以上乾燥させた後、次の一層描く、という作業を20回繰り返し、二十層になったところで水洗いし、手を「やすり」にして、削(はつ)っている。つまり、柴川は、携帯電話やフィギアなどをキャンパスとして、2000年後というイメージを描き、定着させているのだ。
作家は、時間の無限さ、無情さ、重層さだけを伝えたいのではない。2000年後を通じて未来へと視野を拡げた観客は、「現代」を新しい視点から見つめ、想いをめぐらせることだろう。