topreviews[女子美春展2011/神奈川]
女子美春展2011


原発問題など地球上の生物の中で問題児といえるわれわれ、
今こそ大先輩・恐竜の生き方に注目してみては...?

TEXT 安東寛

 3月26日、大震災の余震が続く中開かれていた、女子美大の学生達の「春展」を訪れた。ギャラリー内には個性的な作品が並び、創造的なムードに包まれ、災害の不安の続く外界とは別世界...、つかの間の安心感を憶えた。出展者の中から5人の学生たちに話を聞かせてもらった。


下河智美《死人たちの標》

下河智美《9の組織 》

 下河は細胞という存在に美を見出している。細胞は、最小単位の単純な生物ながらも構成要素として最も価値のあるもの。「最小にして最重要」という存在感に、彼女は哲学的に共鳴するのだという。
彼女は以前は、顕微鏡の中の世界のような、リアルな細胞の絵をリトグラフで作り、紙の上にプリントする形の作品を作っていた。リトグラフという化学反応を用いる表現法により、"科学実験によって出来上がった細胞の絵"といった偶発的な独特の雰囲気の作風であった。
しかし今回の作品では、シルクスクリーンによる版画の上にパラフィンという蝋をかける表現を用いている。この効果により、作品がガラスケース内に詰められたか氷づめで冷凍保存されたかのような雰囲気を醸し出していて、立体感と透明感があってとてもきれいだ。
また作品として、"紙プリントの細胞"より洗練された印象だ。さらにモチーフも、"種"に変えた。半透明で内部の複雑な核の様子などが見えている細胞よりも、外見的にシンプルだ。
作品「9の組織」では、「学生に見立てた種」を表現している、という。種は外見は単純に見えるが、殻の中には生き物の情報や機能が詰まっている。そんな種と、同じ制服を着て同じ教育を受けても、卒業後は内部に詰まった個性が開花し、それぞれ個性的で違う人間に育つ、という学生の姿が重なったのだという。
また制服で単純化された学生の姿が、現象の姿・形を単純化し表現手段として利用するために存在する"文字"とも重なるという。文字や記号は集合体という文章となって初めて意味を持つように、学生達は学校側に文字として利用され、学生生活という学校が書いたシナリオを演じさせられているのかもしれない。
そして卒業後、呪縛から解き放たれた時に、単純化された文字が遡って本来の姿に戻り、個性的な生き方を歩んでゆく...。学生生活とはそんな無意味な時間であったかもしれない。そんなことを考えながら、"冷凍保存化された種"のような彼女の作品を見ていると、とても悲しく美しい姿に見えた。


野本有紀《彼の肖像》

野本有紀《彼の肖像》

野本有紀《この宇宙に乾杯!》

 小さい頃から恐竜が好きな野本。その理由は当時、"最強の生き物だと思ったから"だという。
恐竜は謎多き深い生物である。恐竜に関しては、色んな学説が提唱されては覆され、想像で理解するしかない謎の生物であるが、人類の大先輩であることは間違いない。そんな恐竜の生き方を、今こそ人類は学ぶべきであると彼女は考えている。
彼女が卒業制作で、作品「この宇宙に乾杯!」を描いたのはそんな理由からだ。人類の進歩させた科学技術による宇宙進出を、大先輩である恐竜が人間の姿を借りて祝っている光景が描かれている。
恐竜は気候や環境にうまく適応して進化していった結果、1億年以上もの長い間地球上に存在出来たといわれる。そんな"美しく進化した恐竜"に比べ、人間の進歩させた科学技術による生き方は、地球との共存とは言えず、破壊行為となっている。そんな現実を皮肉を込めて描いたのが、「この宇宙に乾杯!」なのだ。原子力が問題視されている今、そんな大先輩・恐竜の生き方を見直してみるのは興味深い。
また作品「彼の肖像」における、英字新聞をちぎって貼り付けたものをキャンバスとして使用する作風が面白い。新聞紙が、画材のオイルパステルと相性が合うという実用的な理由もあるのだが、新聞の文字列の方向などを、モチーフの輪郭に合わせて貼り付けたりと、下書きの補助としているのだ。ときにはキャンバスである新聞の文字の配列や写真を見ていると、描きたいモチーフの恐竜の姿が浮かび上がってくることもあるという。
現代の時事ネタ満載の新聞のデザインから、恐竜の姿が現れるというのは興味深い。未熟者の人類の日々の行いを、大先輩である恐竜が裏で見守っている...。彼女はそんなことを強く感じているのかもしれない。


高師悠香里《陽だまりの中で》

高師悠香里《PIG ROSE》

 「暖かさを感じる絵を作りつづけたい」という高師の作品は、フワフワ感が魅力的だ。「陽だまりの中で」ではオイルパステルを使用し、ボンヤリとした雰囲気を出し、降り注ぐ太陽光のシャワーを表現している。
彼女は細い線を用いたハッチングの線画により、フワフワとしながらもリアルな世界を作り出すのを得意としている。線によって描かれているので輪郭線がはっきりとせず、そのため対象物からフワフワとした動きが感じられる。フサフサの毛でおおわれた動物画を得意としているのも、フワフワ感を持つ存在として格好のモチーフだからだ。
ところで厳密に言えば、一般的に物質は輪郭線を持たないといわれる。物質を構成する最小単位の原子は、原子核とその周りを回転する電子によって成り立つ。つまりすべての物体は動き続けながら存在しているのだ。だから動きを感じさせるハッチングのような描き方の方が、まるでバリヤーのような輪郭線のはっきりした、ベタ塗りなものよりも、正確な描写法といえるのかもしれない。
自分と取り囲む周りの世界は、お互いに出たり入ったりしながら、常に動きながら存在している...。人々は物質的にも精神的にも壁を作ったりするが意味はなく、すべてフワフワな一体とともに存在しているのだ。彼女の作品は、そんなほっこりした気持ちになることを考えさせてくれた。


室井麻未《人体のあった部屋》


室井麻未《景色のかけら》

 室井の世界観は感覚的で、理屈での理解は難しい。しかし一般的に気づきづらい視点でものを見ていること感じられ、新鮮だ。
例えば彼女は、対象物ではなく対象物の動きの軌跡を描こうとする。モデルが手を動かした場合、スローシャッターで撮った写真のように手がブレて軌跡を描く...。その軌跡の方に美を見出し、モチーフとするといった具合だ。また人物モデルが去った後の、部屋の中に残る体温や雰囲気や余韻を感じ、それを描いたりする。
さらに彼女はモチーフが部屋にいる場合、モチーフを含めた部屋全体の存在感が気になるのだという。そしてモチーフの存在により生み出される、部屋とモチーフとの一体感の視覚化に挑むのだ。
過去の作品「人体のあった部屋」では、デッサンのためのモデルが去った後の学校の教室に残る"余韻"を描いた。その余韻とは、モデルの残した体温や感情などであるという。こんな視点を持つ人は多くないであろう。
そんな彼女の今回の作品「景色のかけら」は、部屋の中にある物の断片や輪郭だけを拾い集めて描いたものだ。枠が中央に浮かび、その中をすり抜けるように動きのあるタッチで、何かの線やかけらが描かれている。その絵の上から、実物の糸が張り付けられている。なんだか、「空中に浮かぶ絵の中身がぐずれ空中に破片となって飛んでいき、額縁だけが残っている光景」といった印象だ。物質の中身は動きうつろいやすく、すぐに消えてゆく。確かなものは、輪郭とかけらのみだ。不変的で本質的なものは中身よりその輪郭にある、ということを表現しているのかもしれない。
もしくは絵の上に実物の糸を置いていることから、「確かなものは、面ではなく線である」ということを伝えようとしているようにも思える。線という一次元的な世界観の物体に強い存在感を感じ、それを表現しているのかもしれない。
事実、一次元の存在である線を重ねたものが二次元という平面。この平面を重ねたものが、我々の三次元空間だ。彼女は何らかの理由でこの一次元の世界の存在感の確かさに注目し、この作品を通じて伝えたのかもしれない。独特な感性を持った彼女のこれからの作品が楽しみだ。




中島詩織《とりとめのない夢のにおいとその余情》

 中島は神聖な存在をダークティストな雰囲気で描くことが好きなのだという。過去の作品では悪魔的な天使の姿を宗教画のような荘厳な風格で描いているものが多い。
そんな彼女が今回、「とりとめのない夢のにおいとその余情」とのタイトルで、“生と死”
をテーマにし「菊の夢を見るガイコツ」の姿を描いた。死を象徴化したガイコツが見る夢を“菊”としてイメージしたのは、萩原朔太郎の「死は腐った菊の香りがする...」という内容の詩に影響を受けたものだという。
たしかにお盆に先祖供養のために供える花として知られる菊の花からは、死がイメージされる場合が多い。彼女の描く"命の炎を燃やしながら静かに咲く菊の姿"は、お盆の日に現れるという死者の魂"火の玉"にもその姿が重なって見えてくる。
また線香花火の消える直前の状態を、「散り菊」という。菊の花の姿が死を間近にした線香花火の姿に似ているからだという。夏の日に夜空に浮かぶ火の玉は、燃えながら浮遊する死者の夢...。そんな想像は実に抒情的だ。
ところでこの作品は本来、もっと暗く不気味なテイストで描く予定であったのだという。しかし製作中に、強く死を意識させる震災という出来事が起こった。そのため、炎を明るめの色で描くなど、少しでも生気を感じさせる方に製作の方向性を変えた。地震で傷つけられても前へと向かおうとする、人間の生への情熱に感動を憶え、生を肯定する方向に修正したのだという。
“生と死”をテーマにおいて、震災前は少なからず死を強めに意識していた彼女の心の中のバランス感覚が崩れ、生を強める表現に向かったのだ。死を昇華させ、生の意識を強める表現は、震災犠牲者の魂の鎮魂歌の意味を持たせているのかもしれない。そう考えると、信者の魂を浄化させる役割があるという、一種の宗教画の感覚を彼女の作品から感じた。

 震災後の日本は変わったといえよう。被災地のことを思う多くの人々の巨大な"情"というエネルギーが全国を包んでいる。今は「情に深い」という日本人の気質が復活している時といえるのかもしれない。
そんな巨大な感情的エネルギーを追い風に、アーティストは人々の感動を生む作品を作りつづけて欲しいと思う。そして五感による「感情レベル」のエネルギーを、アーティストの感性によって、六感からなるさらに高次元のエネルギーに転換してもらいたいと思う。震災後の"新生日本"が、ただ日本を経済的に再建させる形ではなく、精神性のレベルの豊かな方向性に向かえば素晴らしい。

女子美春展2011
2011年3月26日(土)27日(日)  4月2日(土)3日(日)

art gallery, on the wind(神奈川県横浜市)

 
著者のプロフィールや、近況など。

安東寛(あんどうひろし)

1969年 神奈川県生まれ。現在月刊ムーを中心にして執筆活動をする、妖怪と妖精を愛するフリー・ライター。
趣味で色鉛筆画を描いてます。





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