topreviews[「BIWAKOビエンナーレ2010 玉手箱−Magical World−」/滋賀]
「BIWAKOビエンナーレ2010 玉手箱−Magical World−」
水辺の記憶がいざなう、アナザーワールド
TEXT 高嶋慈

近江八幡市の旧市街を流れる、八幡堀


会場の一つとなった、旧中村邸の外観。碁盤目状の整然とした旧市街には、このような町家が数多く残っている。
この秋、ビエンナーレやトリエンナーレといった芸術祭が日本各地で開催され、盛り上がりを見せている。美術館や展示ホールなど、既存の展示空間が使用される場合もあれば、廃校になった学校や古い民家など、ホワイトキューブ以外の空間が会場として転用される場合もある。古びた木の匂いを嗅ぎ、ギシギシときしむ廊下を歩きながら、かつてそこで営まれた生の痕跡や記憶が染み込んだ空間の中での鑑賞体験は、アートを見せる「ハコ」のあり方について、もう一つの可能性を提案してくれる。そのような試みの一つとして、ここでは、近江八幡市の旧市街にて開催されたBIWAKOビエンナーレ2010を紹介したい。

琵琶湖の傍に位置する近江八幡市の旧市街は、近世に城下町として開かれ、近江商人でよく知られるように、商業都市として栄えた町である。琵琶湖へ船を通すために作られた八幡堀の周囲には、築100年を越す建物が今も残り、保存地区となっている。この歴史ある町並みを舞台として、BIWAKOビエンナーレ2010が開かれた。第四回目となる今回は、「玉手箱−Magical World−」をテーマに、国内外50組以上の作家が参加。元倉庫の高い天井を活かしたダイナミックな展示や、町家や土蔵、庭の空間に溶け込むサイトスペシフィックな作品が多く、また琵琶湖や堀など「水」とともにある近江八幡という地域の特性に言及した作品が制作されているのが特徴である。観客を異世界へといざなう「玉手箱」に見立てられた、旧市街に点在する会場を巡るうちに、場所に受け継がれる記憶と現代アート作品が交錯し合う、新たな時空間が開かれ、いつしか自分がアナザーワールドの旅人になっていることに気づくだろう。

場への言及、場の変換


1青木美歌《未生命の遊槽》(部分)


2青木美歌《未生命の遊槽》


3青木美歌《未生命の遊槽》(部分)

例えば、青木美歌は、住人のいなくなった町家の一階部分をまるごと使って、幻想的なインスタレーションを展開している(画像1〜3)。雨戸を閉め切った薄暗い家に入ると、そこは、深海生物や胞子植物のような不思議な生き物たちが闇の中でひっそりと息づく空間だ。ずっしりと年月の重みを感じさせる長持の周りには、キノコや菌類のような植物が畳から生え出て群生し、クラゲや深海生物のような生き物たちが空中を泳ぎ回る。もう使われなくなって久しい台所には、珊瑚のような生き物が複雑に分岐した枝を伸ばす。青白いライトが彼らを照らすと、キラキラと反射する光によって、繊細なガラス細工で作られていることが分かる。儚くも美しい彼らは、かつての生活の場に堆積した記憶に寄り添い、町家の新たな住人として、朽ちていく空間に命の灯をともすような存在なのかもしれない。

このように、町家の空間に、独自の生命たちが息づく一つの閉じた世界をオーバーラップさせ、その世界の中に深く潜っていく青木作品に対して、作品の設置によって町家の内と外をつなぐ試みをしているのが、陶芸家の田中哲也の《響器 HIBIKI》である(画像4)。表面の光沢や形状から、地中から掘り出された土管のようにも見えるが、陶器をボルトとナットで連結させた作品であり、前に立つと、風の音や木々のざわめきといった外の音が響いてくる。田中によると、「音を盛る器」がコンセプトであり、外に設置したマイクが拾った音が、作品内部で響く仕掛けだという。また土管のような形は両端が開いており、笛をイメージしているとのこと。前回のBIWAKOビエンナーレに参加した経験から、展示される空間への意識が芽生え、今回初めて「音」を作品の要素として取り入れたと話してくれた。


田中哲也《響器 HIBIKI》


藤井秀全《Staining (Oda-tei)》

このように、町家の内部と外部をつなぐ媒介として、「音」以外に「光」という要素に注目しているのが、藤井秀全である(画像5)。手すりもなく急な階段を上って町家の二階にあがると、薄暗い和室は、赤や紫、橙、茜色…にブルーや黄色が混ざり合い、万華鏡のような光が充満する空間に変貌していた。障子窓を開け放てば、燃えるように真っ赤な夕焼け空が眼前に広がっているのではないか。
そんな空想を抱かせるほど、光は物質感をあらわにし、室内の空間だけでなく、その中に身を置く観客の身体までを染め上げていく。部屋と部屋の仕切りの役割を果すだけでなく、外の光も通し、室内に柔らかな光を入れ込む、障子という装置を巧みに取り込んだ作品だ。このように、田中と藤井はサイトスペシフィックな試みを通し、外界を完全に遮断するのではなく、周囲の光や風の気配を室内に伝える日本家屋の魅力に改めて気づかせてくれるとともに、かつての居住空間をめくるめくアナザーワールドへと変貌させていく。

水辺の記憶


6杉浦慶太《淡海(おうみ)》

また、琵琶湖近くに位置する近江八幡という地域の性格に言及し、「水」をテーマに取り上げた作品が見られたことも、本展の特徴の一つである。例えば杉浦慶太は、かつて淡海(おうみ)と呼ばれた琵琶湖が、生活用水として人々の生活を支え、農業や漁業、水運に貢献してきた歴史に言及した作品を出品している(画像6)。琵琶湖の水面を同位置から時間差で撮影することで、位置的には同一の水面は、複雑な差異を伴った表面として立ち現れる。とともに、一瞬のうちに凝固したかのような硬質ささえ感じさせる水面は、溶け込んだ記憶を内包しつつ、永遠の相を獲得している。時間の流れの中で変わらないものと、刻々と移ろいゆく現在と。いやむしろ、両者の往還の中にこそ「いま」があることを、杉浦の静謐な写真は示唆している。

このように、過去―現在という時間軸が形成する垂直的な関係に言及する杉浦作品に対し、地理的に隔たった二つの土地を「水」のイメージで結びつけ、水平的な関係に言及しているのが、ブラジル出身の作家、ニウラ・ベラヴィンハの《IN=OUT Translucent》である。元倉庫の巨大な空間にはウォーターベッドが設置され、観客は靴を脱いで寝転がることができる、体験型の作品だ。背中いっぱいに広がる冷たい水の感触、スピーカーから聞こえる優しい波の音、そしてウォーターベッドの表面に投影される映像は、心地よく陶酔感を誘う。この映像は、作家の故郷の湖を撮影した映像を、ここ近江八幡を流れる堀の水面に投影したもので、波音も両者のものを重ねているという。ブラジルの湖と近江八幡の堀、二つの「水」のイメージが重層的に重なり合い、観客は、本当に水面に浮かんでいるような感触や波音を聞き、視覚、聴覚、触覚、身体全体を使って知覚するうちに、ある場所の固有の記憶から、複数の記憶が重なり合う位相へと導かれていくのである。

空間との対話


7大舩真言《心象景色》


8大舩真言《心象景色》(部分)

最後に、人工的に管理されたホワイトキューブの照明の下ではなく、移ろいゆく光とともにある鑑賞体験が印象的だった三作品を紹介したい。大舩真言は、鑑賞体験を条件づける「光」のあり方に非常に意識的な日本画家である(画像7、8)。彼の作品集をめくると、ギャラリーなどの展示空間に加え、湖畔や日本家屋の中に作品を設置し、早朝から夕方まで、一日の時間の中で変わりゆく自然光の下で撮影された写真が収められている。時間帯や雲の流れによって刻々と変化する絵画表面は、靄のかかった水面や澄んだ空気の流れを思わせる静謐さを湛えながらも、非常に饒舌だ。引き寄せられるように近づいて見ると、鉱物から作られた顔料が粒立ち、複雑な表情を見せている。大舩の絵画は、画面の中だけで完結するのではなく、光や空気の流れといった外部を取り込んだ形で存在しているのだ。光との照応を通してその都度、生起し続ける大舩の絵画は、「見ること」そのものをも問いかけている。


9ヴェラ・ローム《Kreuz-Erganzung》


10ヴェラ・ローム《Kreuz-Erganzung》(部分)樹脂の中に閉じ込められた金色の気泡は、金粉で着色した訳ではなく、完全に自然の色だという。
また、暗い土蔵に設置され、高い天窓から差し込む陽射しを受けて厳かな光を放っていたのは、ヴェラ・ロームの立体作品である(画像9、10)。正十字形に組まれた木材の表面を削り、ささくれ立った表面に樹脂を流し込んで作られている。偶然入り込んだ無数の気泡が、午後の陽射しを受けて黄金色に輝き、いつまでも眺めていたくなるような美しい作品だ。


11白子勝之《無題》


近辺の田園風景を透明感あふれる筆致で描き出した野田幸江の絵画は、高い天窓、梁が剥き出しの、元工場のダイナミックな空間とマッチしていた。


元倉庫の広い空間に、麦畑のような光景を出現させた、田中太賀志のインスタレーション。
また、白子勝之の漆芸作品も、置かれた空間との豊かな対話が感じられた作品の一つである(図11)。出品された《無題》は、自然の形象を有機的な紋様として抽象化し、色彩をシンプルに削ぎ落とすことで、その美しさを最大限に表現している。渦を巻くように同心円状に広がっていく形は、自然のエネルギーの象徴にも見え、陶磁器のように滑らかな表面は、どこかフェティッシュささえ感じさせる。近づいて見ると、地を這うツタのような植物は、枝とその上の葉の部分が微妙に塗り分けられ、ややクリームがかった枝の上の純白の葉は、縁側から射し込む夕方の光の中で仄白く浮かび上がり、妖しいまでの美しさを放っていた。

ホワイトキューブの真っ白な壁、人口的に管理された照明の下でとは一味違う、光の変化や空間との対話を楽しみながらの鑑賞体験を提供してくれた、BIWAKOビエンナーレ。開催地の近江八幡市の旧市街には、同じように町家の和室や蔵を改装し、アウトサイダー・アートを紹介しているボーダレス・アートミュージアムNO-MAもある。地域社会の高齢化が進む中で、住民がいなくなった町家が増加しているというが、地元の行政や企業と協働して活用を進め、今後の継続、さらなる深化を期待したい。

「BIWAKOビエンナーレ2010 玉手箱−Magical World−」
2010年9月18日〜11月7日

滋賀県近江八幡市旧市街

出品作家:
青木美歌、阿曽藍人、アネ・キンゼ、AWAYA、Antenna、石田歩、市川平、市村恵介、井上亜也子、植松永次、ヴェラ・ローム、王弘志、遠藤一郎、大舩真言、尾崎泰弘、北夙川不可止、京都造形芸術大学情報デザイン学科先端アートコース、craftive、小原昌枝、滋賀県立大学大学院チームK、嶋田健児、嶋村のぞみ、schnitt、白子勝之、新村卓之、森林食堂、杉浦慶太、鈴木貴博+鈴木泉、竹田直樹、辰巳嘉彦、田中真吾、田中太賀志、田中哲也、田中英行、田辺磨由子、寺田忍+真木三起、torch、トム・シュヴァーブ、中沢知枝、永沼埋善、中原勇一+湯木毅、二ウラ・ベラヴィンハ、野田幸江、HUST、林原彰矩、平垣内悠人、PHIRIP、福森創、藤居典子、藤井秀全、豚星なつみ、松岡潤、MATSUDA Eiichi、水川千春、ミシェル・ファーブル&ファビアナ・ド・バロス、南公二、森川穣、森山蘭子、矢津吉隆、yangjah、吉光清隆、ワダマキ

 
著者のプロフィールや、近況など。

高嶋慈(たかしまめぐみ)

1983 年大阪府生まれ。
大学院で近現代美術史を学びつつ、美術館での2年間のインターンを修了。
関西をベースに発信していきます。

アート関係のレビューから、政治や経済などの社会評論、哲学や理論など、現代を生きぬくための「知」をトータルに提供するインディーズ・マガジン『ART CRITIQUE』創刊号に、レビュー「記憶が受肉する場―光とともに開かれる、眼差しの開路」を執筆させていただきました。古いモノクロの肖像写真を描き直す韓国の作家、ツ徳鉉(チョー・ドッキョン)の個展「FLASH BACK」を取り上げました。他にも、松浦寿夫氏、西宮船坂ビエンナーレのディレクターへのインタビューなども収録。『ART CRITIQUE』のサイト、またはジュンク堂新宿店でもお求めいただけます。





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