京都造形芸術大学が主催、宮島達男氏が議長をつとめる世界アーティストサミットは、2005年の第1回目以降、隔年で開催され、今年で第3回目を迎える。戦争、貧困、教育、環境など社会の抱える様々な問題に対するアートの責任を問いかけ、「アーティストは世界を救えるか?(Can Artists Save the World?)」をメッセージとして掲げてきた本サミットの3回目は、12月19日と20日の二日間にわたり、同大学で開催された。過去二回と今回とが異なる点は、サミット席上での討議の前に二週間のアーティスト・イン・レジデンスを設けてその成果の発表が盛り込まれたことと、招待講演として招かれたクシシュトフ・ヴォディチコの他は、70〜80年代生まれの若い世代のアーティストが顔を揃えたことにある。

PHOTP:鈴木崇 |
サミット一日目は「未来との対話」をテーマに、世界各国から招待された6人のアーティストが京都で行ったレジデンスの成果の発表と、続けて議長の宮島達男氏を迎えたディスカッションが中心になった。冒頭の写真は、「自らの『影』を焼き付けることで、非核の意思を表明する署名活動」、PEACE SHADOW PROJECTに参加した時の彼らの様子である。6人のアーティストはそれぞれ、ハーヴェイ・ボータース(ファッションデザイナー/オランダ出身)、ピチェ・クランチュン(舞踏家・振付家/タイ出身)、ナリン・チャミンダ・ミーマナージ(映画監督/スリランカ出身)、ケン・シャレム(映画監督/イスラエル出身)、上田麻希(香りをメディアとしたアーティスト)、マルジェット・ウェッセルス・ボア(プロダクトデザイナー/オランダ出身)と、領域も出身・在住地も様々なメンバー。レジデンスという制作条件に応え、それぞれの専門分野を活かし、かつ京都という都市の特性や抱える問題に言及した試みがなされた。
例えば、映画監督のナリン・チャミンダ・ミーマナージは、環境に負担をかけない農業システムのプログラム策定にも関わっている自身の経験を活かし、京都の大原で有機農業を営む農家のドキュメンタリーを制作、農薬や化学肥料を使わず自然の循環を利用した農法をみずみずしい映像とともに紹介した。また、同じく映画監督のケン・シャレムは、出身地・イスラエルの抱える民族紛争問題についてどんな解決策がありうるか、京都の人々に対して行ったインタビューをドキュメンタリーにまとめた。彼らの意見についてどう思ったか、会場から質問を受けたシャレムは、特に大人は今までに見た映画やニュースなどで得た情報に基づいて話している印象が強く、偏ったアングルからしか見ていないと批判的に答えていた。上田麻希は、電話やテレビ、電子メールといったメディアは情報を平面的にしか伝えないのに対し、匂いはよりリアリティを伴った伝達が可能であるという視点から、嗅覚をメディアとして使用。京都市内を回り、様々な場所の「匂い」を集めるワークショップを行った。プロダクトデザイナー、マルジェット・ウェッセルス・ボアは、集合住宅での住民同士のコミュニケーションの断絶という都市の抱える問題に目を向け、名前や好きなものなどを質問したアンケートの答えに基づき、アパートの住民達のドアをパーソナリティを表現するものとしてデザインした。
ここで扱われた問題は、有機農業による環境問題への取り組み、民族紛争とメディアの情報による偏った視点、身体感覚による地域の再発見、コミュニケーションの断絶化とその回路の提示など様々であったが、根底を突き詰めれば資本主義とメディアの問題に集約されると言えるだろう。これらのレジデンスでの試みは、一方的に強いメッセージ性を訴えるものではなく、参加者同士のコミュニケーションを生み出し、問題解決に向けて対話の可能性を探るような提案であった。
さらに世界アーティストサミットは参加者だけでなく、アーティスト側に対しても問いかける。それは、アーティストも社会の一員として社会的問題に対する自覚や責任を持つことだけにとどまらず、そもそも、モノである作品を売るという従来のアーティストのあり方も転換を迫られているということである。作品の売買によって終わりなき資本主義の回路に組み込まれていくのではなく、プロジェクトを提案するというオルタナティブなあり方。生産と消費のサイクルに回収されるのではなく、インタビューやワークショップ等を通して参加者の意識をどう変えていくか。このことは、制作される作品はドキュメンタリー映像やワークショップが多くなるという形態の変化だけにはとどまらない。静的な鑑賞の機能だけが備わったアートではなく、リサーチによって社会の問題点を洗い出し、実行可能な行動や代替的なアイデアを提案し、より良く変えていくための機能を持たせる点で、いわばデザインの領域に接近するのである。またこれに伴って、アクセシビリティも重要な要素として問われるだろう。特にアートの知識や専門的な美術教育の経験がない人や、子供でも参加可能なプロジェクトが要求されるからである。
会場も交えてのディスカッション終了後は、レジデンスの展示会場となったギャルリ・オーブへと足を運んだ。サミットのテーマカラーであるブルーを効果的にあしらった、ロゴデザインと同じ十字型の柱が林立する、斬新な会場構成がひときわ目をひく。
今回の会場構成を手がけた、原田祐馬氏にお話を伺う機会があった。原田氏によると、デザインするにあたってのポイントは二点あり、一点目は、誰でも組み立てや持ち運びが簡単な仕切りであること。十字型の柱は、構造的には二枚のベニヤ板を組み合わせただけで出来ており、移動させて柱同士の位置を組みかえることで、いかようにも空間の仕切りを変えられる。レジデンス中はこの会場で作業が行われるため、状況に応じて各アーティストのブース面積を調節できる、可動性の高い空間が生み出されていた。
二点目のポイントは、「森」をイメージした空間ということである。アーティスト毎のブースを四角く固定的な壁で区切ってしまうのではなく、定まった導線のない会場は、まさに柱の森に分け入っていくような、良い意味で「迷える」空間になっていた。
アーティスト側にとっては、自分のスペースを確保しつつ、隣のブースの気配を感じながら作業することができる。
また、同じ会場内には、パレスチナ、東ティモール、アフガンなど世界の紛争に関する展示も行われていた。ショッキングだったのは、上田麻希の発表の中で紹介された、スーダンのダルフール紛争と日本との関わりの話である。非アラブ系住民が弾圧されているダルフール紛争に関して、スーダン政府が輸出する原油の主な輸入先は日本であり、その収入が武器購入の資金になっているという。彼女の調査によると、スーダンの国家収入に占める原油の割合、国家予算に占める軍事費の割合、原油の輸出量のうち日本が購入している割合などを計算した結果、日本はダルフール紛争の約30パーセントの責任を負っているという分析結果が報告された。我々の日常生活と遠い国の紛争が実はつながっているという恐ろしい事実に、戦慄を覚えた。
「明日への跳躍」をテーマにした翌サミット二日目は、同じメンバーが引き続き、「コアミーティング−Phase1」「コアミーティング−Phase2」の場が設けられた。午前中のPhase1では、世界の諸問題に対する解決策のプレゼンテーションが各アーティストによって行われ、午後からのPhase2ではディスカッションへと移行した。
Phase1での提案は、「腕に付けることで環境問題への意識をアピールする“グリーンバンド”の商品化を行い、収益を有機農業の支援にあてる」(ナリン・チャミンダ・ミーマナージ)のような実行可能性の高いアイデアから、「個人がいつ・どこで・何にお金を使ったかをデータベース化し、オープンに開示する」「グローバルパスポートを発行し、人の移動の完全自由化をはかる」(上田麻希)という大胆な発想、さらに「イスラム教徒の居住区を囲い込んで他者への憎しみを増幅させる壁に“窓”を開けて、子供達に外の世界を見せる」(ケン・シャレム)という、イマジネーションあふれる提案まで多様なアイデアが発表された。内容的には、アート作品の制作によって問題を解決しようというよりも、アーティストの持つ想像力や発想力を活かして、常識にとらわれない刺激的なアイデアを出せないか、というものであった。
いずれも各アーティストの出自や現在の活動から提起された問題意識がベースになっているとはいえ、この場で出された提案が直ちに実行され、世界を救う即効薬になる訳ではない。招待講演でヴォディチコも述べたように、アーティストが単独で取り組むには複雑すぎる問題ばかりであり、学術的・技術的な専門家との協同作業や丁寧なリサーチの積み重ねが必要である。だが、社会の歪みや他者の痛みに耳をすませること、イマジネーションという武器で現実を変えようと立ち上がることを、聴衆に喚起させる貴重な機会になったのではないか。アーティストだけが世界を救う、のではなく、一人ひとりがアーティストのような想像力や発想力を身に付け、突破口となる新たな視点を開示できるかどうかにかかっているのだ。
|