topreviews[「変成態 - リアルな現代の物質性」Vol.2 揺れ動く物性 冨井大裕×中西信洋/東京]
「変成態 - リアルな現代の物質性」Vol.2 揺れ動く物性 冨井大裕×中西信洋
 

来るべき次の時代の前に

TEXT 藤田千彩

ヤノベケンジの《ジャイアント・トらやん》が、8月2日まで東京都現代美術館に展示されている
入口からすこーんと抜けたエントランスの一番奥に鎮座しており、私はこれまで豊田市美術館や京都造形大学で見ているものの、やはりそのスケール感に圧倒される。

9月27日まで開かれている展覧会、東京オペラシティアートギャラリー「鴻池朋子展 インタートラベラー 神話と遊ぶ人」。
この展覧会の目玉のひとつ、《Earth Baby》も、巨大な子どもがモチーフとなり、会場では大きな子どもの頭部がくるくるまわっている。
なぜこうした巨大な像をつくるのだろうか、そしてなぜ子どもの像なのだろうか。

おカネとアートが融合した2000年代。
アーティストはイコン的に分かりやすいキャラクターのような表現した。
そこに日本らしさを感じた鑑賞者、特に作品を買うような人たちは、「ポスト奈良村上」としてキャラクター的な作品を求めた。
あまりにも分かりやすいシンボリックな作品がこの時代の傾向なのだろうか?

常日頃からそういう思いを抱いていた私は、gallery αMの展覧会「変成態 - リアルな現代の物質性」Vol.2 揺れ動く物性 冨井大裕×中西信洋」を見に行った。
たまたま鴻池朋子展のプレス発表会のあとに行ったものだから、αMの空間が「空虚」に思えた。
しかしその「なにもなさ」のほうに、親近感とリアリティを感じた。

もし作品が、作家のコンプレックスや願いといった代替品であるならば、「子ども」が登場する“意味”、表層から深層的なものまで含めての“意味”は分かりやすい。
分かるけど、私には分からない。

冨井の《ゴールドフィンガー》、これまでいろいろなところで見た作品は壁に画びょうがいっぱい刺さっているものだった。
今回の展示では部屋の角(つまり壁と壁が垂直に交わる部分)に画びょうが刺さっていて、そういう微妙なニュアンスが、私には絶妙に感じるものだった。
目をこらさないと見えてこない、中西の《Stripe Drawing》の線の薄さのほうが、私には印象に残るのだった。

表現の差異はどこから生まれるのだろう、同じ2009年7月に見たもの、というのに。

 
  画像上から
中西信洋《Stripe Drawing on wall》、冨井大裕《ゴールドフィンガー》、gallery αm内での展示風景、冨井大裕「wrap#3」
(写真撮影=gallery αM 保谷香織氏)
 
   
私はひとつ仮説をたてた。
60年代生まれ、つまりバブルを知っている人たち VS 70年代生まれ、つまりバブルを知らない人たち。
お金の考え方、使い方の違いで、大きなものをつくることへの抵抗感の有無があると思う。
私は後者なので、大きなお金をもらったこともなければ使い方も分からない制作のありかたには同意できる。

ではなぜ「大きいもの」=「赤ちゃん」である必要があるのだろうか?
しかも立体物というだけでなく、動いたり、声を発するような、古い言い方だと「ミクストメディア」である。
すごく下世話な言い方だが、あらゆるメディア(あるいはマテリアル)を取り込むことが当たりまえの世代の制作物なのだろう。
つくられた作品赤ちゃんは、ラジカセ=ラジオとカセットが一緒になったもののように感じる。

かたや、私の年代(=感覚)とほぼ同じ冨井や中西は、無印良品の家電みたいなものなのだ。
メーカーにこだわらず、機能も最低限あればいい、というような単純でありさっぱりしたもの。
ぼてぼてしたデコラティブなものも認めるし好きだけど、別にそういうことは自分はしない、というスタンス(だと思う)でつくられた作品。
分かりやすいという“意味”のシンプルさを求めるのではなく、無駄なことはしないという“意味”でのシンプルさを追求した結果のように感じる。
ラジカセもありだけど、別にもうラジオもカセットも聞かないからiPodみたいにシンプルなデザインのものでいいじゃん、ということなのではないか。

もちろん空間の考え方もあるだろうし、彫刻への考え方もあるだろう。
しかしそれ以前に、美術という概念を取り外したところでさえも、明らかに時代の違い、世代の違いを感じてしまうのだ。

形ある作品は、コレクターなり誰かが購入し、美術館へしまわれ、これからも2000年代の代表作として見ることができるのだろう。
壁に薄い線が引かれた中西の作品、壁に画びょうを刺しただけの冨井の作品は、壁ごと買う人がいると思えないし、美術館にしまわれることはありえない。
アートはお金だと気づかされた2000年代が終わり、もうすぐ2010年がやってくる。
どういうものがアートとして“意味”があるのだろう、時代の変わり目を感じているのは私だけだろうか。


「変成態 - リアルな現代の物質性」
Vol.2 揺れ動く物性 冨井大裕×中西信洋

2009年6月13日〜7月18日

gallery αM(東京・馬喰町)
 
著者のプロフィールや、近況など。

藤田千彩(ふじたちさい)

1974年岡山県生まれ。
編集作業に命そそぐことにしました。




topnewsreviewscolumnspeoplespecialarchivewhat's PEELERwritersnewslettermail

Copyright (C) PEELER. All Rights Reserved.