凝縮された作品制作
−館勝生のライブペインティング
TEXT 三井知行
このイベントは神戸市にある甲南大学内のギャルリ−・パンセで9月15日から10月17日まで開催された館勝生の個展オープニングイベントとして行われた。イベントを含めこの展覧会は作家の選定を除き同大学の学芸員養成課程(博物館実習)の授業として文学部人間科学科の川田都樹子教授の指導のもと、学生たちによって企画・運営されている。
「オープニングイベントでライブペインティング」というと、若い作家がDJやバンド演奏に合わせて即興的に壁などに描きなぐる、といったちょっと軽いイメージがあるかも知れないが、この40歳台半ばの抽象画家による「ライブペインティング」は、そのようなイメージとは全く違った、本格的で深い印象を残すものであった。
実のところ館勝生はここ数年来の病気のため(作品にはその片鱗も見せていないが)体力的にかなり弱った状態にある。その上これまでほとんど人前で制作したことのない(彼自身のよるとかなり若い時に1度して以来、2度目とのこと)彼のライブペインティングが一体どんなものになるのか、という不安は、彼が杖をついて会場に現れた時、現実のものになったかのように思われた。それだけその姿は、彼の病気のことを知らない者はもちろん、知っている人達までも少しぎょっとさせるものだった。逆にいえばこのインパクトのある登場によって、観客の意識は一気に制作に引き込まれていったといえる。
会場の床には何の下地処理もされていないF50号(116.7×91.0cm)のカンヴァスが置いてある。館は絵具を少量手のひらにつけると、器にたっぷり入った油にその手をザブリと浸し、おもむろにカンヴァスに叩きつけた。格闘技の「掌底突き」のような感じで何度も掌を叩きつけ、色の付いた油をカンヴァスになすり込み、その飛沫でたくさんの染みを作り、白いカンヴァスを色の付いた油で「汚して」いく。会場(ギャラリーといっても部屋ではなく、幅広い通路のような開放的な空間)にはカンヴァスを叩く「バシッバシッ」という音が響き、それは「絵画の制作」というより、何かの儀式か荒療治のようであり、白いカンヴァスという取り澄ました「無」が、この「儀式」あるいは「治療」によって、汚れを伴った「現実」や「生」を受け止める器へと変化する、そんな連想を誘う。出来上がった作品でこの染みを見てみると、一見カビのようにも見えるが、カンヴァスに薄く染み込み滲みながら広がる層が、厚く盛られた絵具と好対照をなし、作品の重要な部分であることがわかる。
この「掌底突き」が終わると(この時点で既に作者は肩で大きく息をしている)震える手で絵具−彼の作品ではおなじみのチタニウムホワイトやオリーブグリーン、ペイニーズグレー、のちにはバイオレットなど−を紙パレットの上に盛っていく。ホワイトは缶入り、グリーンは大振りなチューブと、用意された絵具の容器が、作品に使われるその色の量や頻度をある程度反映していて興味深い。パレットに落とされた絵具はしかし、軽く混ぜられると、ほとんど全量がカンヴァス上、ちょうど油を叩きつけたあたり(中央よりもやや左上)に盛られてしまう。作者はペインティングナイフ(こて状の小さなものではなく、パテ埋めに使うヘラのような形の大きく弾力のあるもの)を取り出すとカンヴァス上の絵具の塊に差し入れ、軽く混ぜるようにしてはナイフの弾力を活かして外へと跳ね飛ばすように掻き出していく。カンヴァス上の絵具は完全に混ざり合うことはなくマーブル状になりながら、絵具の飛び出して行った方向に何本ものやわらかい突起を生じさせている。その周辺には小さな絵具の塊が放射状に、時に細長い軌跡を伴って散らばっていく。興味深いのは、絵具を掻き出すたび毎に彼は顔を上げ、飛んで行く絵具の着地までを目で丁寧に見届けてから、再び手元に視線を戻して次の「掻き出し」に移ることである。この「掻き出し」は休息や他の制作行程を間に挟みながら何度も繰り返し行われたが、一度もこの丁寧さが失われることは無かった。つまり彼は、絵具をはね飛ばすという一見派手な手法をとりながらも、行為性そのものに重点を置き結果を完全に偶然にゆだねるのではなく、1回の行為の結果を次の行為にフィードバックさせているといえ、派手だがどこか「やりっぱなし」感の漂うある種のアクションペインティングとは完全に一線を画すものとなっている。
観客は黙って制作の成りゆきを見ていたが、その静けさに耐えられなくなったのか、あるいは必死かつ真剣に制作する姿を多くの人(その半数近くは館氏の知り合いだったと思われる)に注視されるのが照れくさいのか、15分ほど経った頃、作家本人から「そんなに真剣に見んといてください」というような発言があり、座を支配していたある種の緊張はいったんほぐれた。作者としては、このまま周囲の展示作品を見たり雑談したりしながら「適当に」制作を見てほしかったようだが、さすがにいきなり騒ぎ出したり場内をウロウロするわけにも行かず、観客としては制作が再開されると静かに見守るしかない。
もとより館氏は大勢の人を前にして物怖じせずにパフォーマンスするようなタイプではない。むしろ作家としては普段の押しは弱めで、また周囲によく気を遣う方である。その上、後で本人が語ったところによると、普段アトリエではラジオなどをかけて、雑音のある状態で制作することが多いという。今回のステージは作家にとってかなりやりにくい環境だったようだ。
作品を眺めたり飲み物を飲んだり、時には酸素スプレーを吸ったりと小休止をはさみながら制作は続く。ある程度絵具がカンヴァス上に広がると、今度は鉛筆の出番である。彼の作品において鉛筆もまた主要な画材で、絵具よりも後から鉛筆を使っていることは、作品をよく見ると分かることだが、鉛筆にはどうしても「下書き」というイメージがあるためか、この段階での鉛筆の登場はちょっと意外であった。
鉛筆もまた中心部(最初に絵具を盛ったあたり)に突き立てられ、周縁部に向かって絵具を切り裂くように素早く線が引かれる。絵具の時と違うのは、いったん外へ向かった鉛筆は楕円の軌跡を描いて中心部に戻ってくることである。それは前述した「掻き出し」における視線の動きを連想させる。線描は「シュッシュッ」という感じで勢いよく(おそらく筆圧も強く)行われるので、鉛筆の消耗が早く、描いては削り削っては描くという状況である。
館氏の作品には、今回の完成作品も含め、虫が飛んでいくように見える作品が少なくない。また、作品の中心と周縁の関係が、球心的にも遠心(放射)的にも見えることも多い。そのために時に中心部が非常に厚塗りで存在感、重量感がありながら、どこか不安定で動的、生命的な印象を受ける。その印象に線描が影響しているのはすぐに分かることだが、今回制作を実見して、単に線描が往還運動だとか羽ばたいている虫の羽に似ているというだけではなく、後から線描が行われることにより、それまである意味ニュートラルで野放途だったペイント部分にある種の方向付けがなされ、秩序のようなものが生じるためであることに気が付いた。
さて、30分近く経過した頃から、作家は時間を気にし始めた。一応制作時間は40分程度の予定だから、ということらしいが、その後の段取り(学生によるインタヴュー、その後レセプションが予定されていた)を考えても、1時間くらい制作しても誰も文句は無いだろうに、何とも律儀な話である。もっともこの頃になると作品の大枠は見えていて、あとはカンヴァスを眺めてはこれまでの制作過程を単発的・補足的にくり返し、手を入れていくだけである。絵画(ペインティング)においては「やめどころ」が難しいと言われるので、やめどころの目安としての40分だったのかも知れない。
実際40分を過ぎた頃、おもむろに当日の日付けとSeptemberのつづりを近くにいた人に確認し、鉛筆で年記とサインを入れ、サインと作品全体との関係を確認して制作は終了した。
この後、完成した作品と展示してある(アトリエで制作した)近作を見比べてみたが、作品を入れ替えても気付かないのでは、と思えるほどの完成度であった。やはりこれはライブペインティング:一過性のイベントではなく、事前によく準備され、高い密度に凝縮された公開制作であったといえる。
なお、この作品は甲南大学に寄贈されるとのことである。
追記
この展覧会・イベントが大学の授業の一環として行われていることは最初に書いたとおりだが、館氏の行動・言動の端々から、これが学生に対する教育活動であることを強く意識していることがうかがわれた。実はこのイベントの翌日から3日連続で作家本人による「自己表現」の集中講義があったそうだが、担当の川田教授によると、それは時に個別に学生を問い詰めて行くような、もの凄い授業だったそうである。杖をついて現れたのがパフォーマンスだったのでは、と思えるほどのパワーである。。