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新世代への視点2008 利部志穂 「
P 」展 展示風景・部分」(c)利部志穂 |
廃墟の記憶
TEXT 森啓輔
「うるさすぎる世界から音を消したい」
そう語る利部志穂の作品が並ぶ、静寂な展示空間は、荘厳と形容すべき気配を濃密にただよわせながら、なぜだか微かな死を予感させる。
7月28日から8月9日にかけて、銀座、京橋の10の画廊の共同企画によって開催された「画廊からの発言―新世代の視点2008」(主催:東京現代美術画廊会議)では、40歳以下の若手の作家が画廊ごとに選抜され、個展形式による展示が行われた。
今回焦点をあてられた作家たちの絵画、彫刻、版画といった多様な現代美術の動向は、それぞれの分野の発展的な展開が垣間見え、なかなか興味深いものであったが、なかでもなびす画廊での利部志穂「P」展は、作品の異質性という点から、ひときわ強くその存在を印象づけた。
利部志穂は、これまで廃材を用いた制作を、一貫して続けてきた。
特に、昨年11月から12月にかけて、区画整理によって解体されていく自宅を会場とした展示では、工事現場の瓦礫の中での制作が注目を浴び、今年の2月に行われた、それらの作品を表参道画廊に持ち込んだ「家を持ち替える」というドキュメントの性質の濃い展示は、記憶に新しいところであろう。
今回は、これまでと同様に鉄パイプや木材を、垂直や水平方向に壁や天井と接しながら配置しており、空間を格子状に構築する建築的要素の強い作品が展示されたのみならず、オブジェと呼ぶべき立体作品が数点、壁面を飾っていた。
一方で、それまで素材として使用されていた、作家が捨てることのできない大切な私物たちは、ほとんど影をひそめ、街に遺棄されていた廃材を中心とした展示構成がなされていた。
それら二つの変化は、前回の自宅を主題とした一連の展示において、所有の性格の強い家そのものがガレキの山に帰するという経験を経ることで、自己と作品との間に適度な距離が生じ、作品に対する客体化がより働いたからかもしれない。
けれども、先の表参道画廊での展示のみならず、今回の展示においても、作品がもつ死への徴候に変わりはない。
そもそも、廃材が過去の遺物という意味で死を想起させたり、また、テオドール・W・アドルノが、かつてドイツ語の「museal」という語から導き出した、美術館と霊廟との類似性や、作品が「朽ちて死におもむきつつある」といった類の指摘だけでは、説明のつかない何かが存在するように思われる。
利部は街をさまよいながら、木材やガラス瓶、鉄パイプや古い紙、箱といった、廃棄されているさまざまな都市の残骸を見つけ出し、それらを組み合わせたり、加工することで作品を成立させている。
今回の展示でも、ドライヤーやバケツ、傘の骨やカラスの羽根など、作品に用いられた素材は多岐におよんでいる。
また、「P・燐光 単位としての人」と題された、本展の趣旨説明とおぼしき文章が画廊内に掲示されており、そこからは光に対する、作家の強い執着が推測される。
ガラスや鉄といった廃材たちは、光の透過性や反射を強く鑑賞者に意識させる性質を備えており、室内の移動による包囲光配列の変化により、いたるところで光の粒の乱反射が経験されるという極めて光学的な構造を有していることに気づかされる。
そのような光の特性を強調するために、無彩色を中心として構成されることで生じる非活性的な印象は、死を連想させなくもない。
しかし、どうやら問題の本質は、作家の制作行為の中に隠されているようだ。
利部は素材を探索する際の、自身の身体を街に漂流させるという行為について、「これは使えるかもと思って拾った素材は、たいてい使えない」と漏らす。
要するに、この探索行為には、探すという意志が初めからはく奪されていなければならない。
街の漂流と聞いて思い浮かぶのは、1930年代にヴァルター・ベンヤミンにより提起されたパリの「遊歩者」の概念や、1970年代の日本において、赤瀬川原平らによって実践された「路上観察」があげられるだろう。
それらは、場所や時代を異にしながらも、どちらも都市の変質が決定的に影響していることには違いがない。
前者ならば、近代化による都市の急激な人口増加が生み出した群衆の問題であり、後者では60年代後半からの体制破壊の動向の中で生じた、街の様相の変化であるのだが、徹底的に無目的でなければならない利部の行為は、前者との関係性を、より強く感じさせる。
いずれにせよ、現代における都市の変質を、利部が鋭敏に嗅ぎ取った帰結として作品があるとして、それでは現代の都市にただようものこそが、はたして死といえるのだろうか。
かつて、建築家の磯崎新は、1964年の「死者のための都市」の文中において、都市と死の問題について言及している。
そこで触れられているのは、都市に対する進化論の適用の可能性だ。
磯崎は、生物学者であるパトリック・ゲデスを引き合いに出し、都市の生成過程について進化論と関連づけ考察する。
結論として語られる、動的に展開していく都市の最終段階とは、生物と同様に死であり、「死都(ネクロポリス)」、つまり廃墟である。
そのような、いつでも廃墟へと転化しうる、もしくはすでに廃墟へと歩を進めつつある都市として、現代の都市を位置づけるならば、利部の作品は潜在的な死への不安が充溢する都市の象徴といえるのかもしれない。
利部は棄てられた遺物を再構築することで、未来において生起するであろう、廃墟としての都市の相貌を浮かび上がらせるのだ。
また、利部は自身の作品について、インスタレーションでも彫刻でもないと呟く。
作品の構造を考慮するならば、それらはどちらともとれる可能性は残されているのであろうが、作品のもつ本質はそのどちらでもなく、記憶の痕跡という点において、写真というメディアにより接近している。
それもパリの写真家ウジェーヌ・アジェが写し出した、近代化により人々の記憶から忘却されていく都市の路地裏のような像にこそ、利部の作品は通底しているように思われる。
廃墟のガレキ、その破片には常に記憶の時間的集積と、過去から現在、未来へと照射されうる時間的距離が伴う。
「それはかつてあった」という写真がもつ象徴作用は、利部が生み出す廃墟の記憶としての作品にこそ、強く機能してはいないだろうか。
「P・燐光 単位としての人」と題された文章の冒頭には、「世界に楽園はない ましては、始まりも終わりもない」と書かれている。
この作者の実感が込められた部分には、18世紀フランスのサロンに出品された数々の廃墟画に触発された作家ドニ・ディドロが、『1767年のサロン』の中で述べたことばと、少なからず共通する部分が見受けられる。
そこにはこう書かれている。
「廃墟が私のうちに目覚めさせる想念は雄大である。すべてが無に帰し、すべてが滅び、すべてが過ぎ去る。世界だけが残る。時間だけが続く。」
人であれ作品であれ、物質はいつか無に帰するという意味において、例外なく死への宿命を帯びている。
利部の作品の異質性とは、すなわち作品が生み出された瞬間に、それらは死んでいるという二律背反的な性質を秘めていることであろう。
利部の展示空間は、古文書の収蔵庫のように、まるで廃墟の記憶の貯蔵庫として、死の気配を湛えている。
けれども、利部が生み出す世界は、始まりも終わりもなく、いつまでも静かにそこにあり続ける。