ナンセンスに目を凝らす
TEXT 佐藤史治
芸術創造とユーモア。こんなテーマを掲げる施設「プラザノース」が、さいたま市の北区で今年5月に開館した。市の複合施設であるここは、図書館やスタジオ、区役所まであわせ持つ。となると美術ギャラリーも当然備わっているのだが、その性格はどこにでもある地方の市民ギャラリーとは一線を画している。というのは、その第1回目の企画展として、なんと現代美術作家のタムラサトルが招かれたからだ。いったいどういった展示になっているのか。さっそく私は足を運んでみた。
会場にはタムラの初期の代表作である、3頭の親子熊が爆音とともにプロペラで後退する《Standing Bears
Go Back》や小さな山が大きな山の上をゆっくり往復する《Double Mountain》と他2点の新作を合わせて計4点の大型作品で埋め尽くされていた。このほか、4点の小品と映像作品も加えられ、タムラの仕事を広く見渡せる構成になっている。そんななか、特に目を引いたのは新作のうちの1点、《バタバタ音を立てる2枚の布
#2》という作品だ。
高さ4メートルを超える巨大なこの作品は、その名の通り2枚の布がバタバタと音を立てるマシーンだ。鉄材むき出しの構造。周期ごとの回転にその旗はなびき、バタバタと心地の良いリズムを打ちつける。一方で、強引さを感じるその反復運動はどこか暴力的で、私たちはたじろいでしまう。そんな作品だ。
私たちはいったいどのようにして、この作品を解釈したら良いのだろうか。彼の作品のテーマを率直に述べるなら、それは意味を見出せないこと、つまりナンセンスにある。回転して音を立てる旗や熊が後退する姿から、ある情景や社会批判がくみとれたとしたら、おそらく深読みだ。実際、タムラ自身も「それはそれでしかない、“そのもの”である。」と述べている。どんなに目を凝らしても、見えてくるのは作品の構造だけだ。意味らしい意味は拾えない。最近のタムラの仕事が、クマやワニといった意味性の強いモチーフから、むき出しの鉄材や白熱灯などに移ってきているのもこの点にあるのだろう。
加えて、この語られることを拒む作品、作家のスタンスは、そのタイトルからも察しがつく。《バタバタ音を立てる2枚の布
#2》や《30の白熱灯のための接点》など、まるで理科の教科書に使われていそうな言い回しである。《無題》などとあえてせずに、このような題名をつけることで、作品のある種の深みや作家の姿が意図的に消し去られているのだ。言葉が作品を反復している。結果として、ナンセンスというものが際立って表れてくる。
しばらく作品を見続けていると、何か・・・めまいを覚え始める。それは、決して反復するぐるぐるに目を回したからでも、周辺の子どもが騒々しいからでもない。私が作品に何かを探して、懸命にしがみつこうと試みるからだ。しかし、いくら意味のひっかかりを見つけようとしても、私はどうしても突き返されてしまう。意味を見つけるどころか、探せもしない。どうやら、いつまでも「それはそれでしかない、そのもの」は、「それはそれでしかない、そのもの」を暴力的に、かつナンセンスに反復し続けていくようだ。
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リセットされる
TEXT 輿水愛子
ギュイィィィーン!!
いきなり、それまでゆっくりとレール上を前進していた三頭の巨大なクマの人形が、けたたましい音を立てながら後退し始めた。かわいいかわいいとクマを見ていた子供たちは思わず耳を両手でふさぎ、驚きに呆然としながらレールをすべるクマを見送る。そんな様子を遠巻きに見ながら、私はいたずらに成功したときのようににやりと笑ってしまった。
埼玉県のプラザノースで行われたタムラサトル展。彼の作品は、この展覧会の『芸術創造・ユーモア』というテーマにまさにぴったりといった感じだ。タムラの作品はある意味鑑賞者を試しているというか、とにかくシニカルで思わず笑いを誘う要素にあふれている。
例えば、メタボリックな男性が、自身の体重と合わせて丁度100kgになるように水を飲む様子を収めた“100kg
MAN”。はじめ99kgを指していた体重計の表示は、彼が水を飲むに従い徐々にその数を増していく。ぴったり100kgが表示されたときになぜだかほっとしたような、メタボの男性に思わず「よくやった!」と言いたくなるような妙な気分になる。
そして会場中に響く轟音を発してレール上をすべる3体の直立したクマの人形、“Standing bears
go back”。タムラいわく、クマたちは「後退するためだけに前進」し、レールの端まで進んだところで轟音を響かせながら後ろに下がっていく。一日中その動作を繰り返すクマたちが、なんだか滑稽でならなくなる。
会場のすべての作品が、ただの「現象」として並んでいる。ここではほんとに、ただそれだけの、だから何なの?って感じのことがアートなのだ。
くだらないと言って切り捨てたらそれまでのことなのかもしれない。でも、タムラはそれを「作品」として堂々とやってのけている。私はふと、こういう単純に「面白い」と思えるようなことを、いつからか自分の中で排除しようとしていたことに気づいた。アートは何か人に訴えかけるようなメッセージ性がなきゃ、社会の中でどんどん必要とされなくなっちゃうんじゃないかと、そんなことばかり考えて、素直に目の前のものに驚いたり面白がったり、感動したりすることを忘れていた気がする。タムラの作品を見てなんだかリセットされた気分になった。作品に込められたメッセージ性が何だろうが、こどもたちは動くクマに歓声を上げ、大人たちはメタボの男性の姿に思わず顔がほころぶ。バカらしくて無意味そうでどうでもよさそうなこと。でもそれこそが、人間らしくて素直な感情を呼び起こすものなのかもしれない。
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