もっと緻密に、もっと細密に、もっと秘密に
TEXT 藤田千彩
1月更新のPEELERで、中島水緒が書いた
「彫刻の本能 Vol.3」と同じ会場、「hpgrpGALLERY東京」での展覧会。
今回作品を展示していたのは、永岡大輔。
そもそも
トーキョーワンダーサイトの記録本を作る仕事で知り合い、1500字も満たないテキストのために4時間もインタビューをした。
そのあとトーキョーワンダーサイト渋谷でグループショウを行った。
永岡の作品を見たのは、このhpgrpGALLERY東京で2回目である。
インタビューのとき、永岡はファイルを見ながらこれまでの活動歴を話してくれた。
トーキョーワンダーサイトでの活動を中心に、海外での大学やレジデンスでの制作、ドローイングだけでなく、描画をもとにしたアニメーションなど。
まだまだ知らないすごい作家がいるんだ、と実感した。
そして間もなく行われたトーキョーワンダーサイトでの展覧会は、これまでのアニメーション作品を中心にした展示だった。
ウィリアム・ケントリッジみたいではあるけれど、永岡のアニメーションは、もっと緻密に鉛筆を走らせ、カメラは紙をなめるようにとらえていく。
絵巻物のような長い紙に絵を描いて、紙をすべるようにカメラを動かしていく映像作品。
鉛筆で描く本人の手が映り、絵が動いていきながら物語が作り上げられるアニメーション作品。
これまで私自身、何度かアニメーションの上映会を企画しているが、このような不思議なつくり(見せ方)のアニメーションは初めて見た。
そして描かれた、つまり鉛筆が残した「像の細やかさ」に私は驚いた。
今回のhpgrpGALLERY東京での展示は、映像作品はなく、ドローイング作品と立体作品
があった。(画像=a)
たとえば
なんと読むのか知らないが、これがタイトル
(画像=b)。
紙に顔を近づけると、この(画像=c)ようになっている。
ボールペンで5mm〜1cmくらいの線を重ねて描いているドローイング。
A4の紙のサイズなら出来そうなものかもしれないが、永岡の手掛けるサイズはそんな小さなものではない。
ごりごり描き、ごりごり表現していく。
「はあ・・・」とその執着した仕事にため息がでてしまう。
壁に展示された小品群。(画像=d)
これらも同じようにボールペンの重ねられた筆致で動物や木を表現している。
私が好きな作品は、この鳥である。
タイトルは《
》(画像=e)。
そう、「bird」ではないのだ。
この描かれている鳥も、鳥ではない(のかもしれない)。
言葉による裏切りがたまらなく気持ちいい。
入口から見て背を向けて設置された立体作品《シンシャカイセイのための家》(画像=f)は、裏からのぞくとこう(画像=g)なっている。
巣のような、卵の中身のような立体作品。
表面は、細やかなドローイングの集積(画像=h)で、ドローイングの先端が線にそって切ってある。
内部は、うさぎの毛が敷き詰められている(画像=i)。
ああ、この毛のようなものをこの作家は描きたいんだ、と気づいた。
永岡がつけたタイトル「曖昧な庭」が意味するのは、家の中にありながら家人だけでなく外部の人と交流を持つ場としての「庭」を、「自分とか他人とかではなく、曖昧な関係性のものにしたい」という気持ちからだという。
庭というプライベートゾーンに私は足を踏み入れ、そこにあるものに顔を近づけ、驚き、コミュニケーションを図ろうと試みたのだろうか。
秘密をのぞき見るような気持ち、それが思いもかけず気をとらわれてしまうような作品だった場合、どう反応したらいいのだろうか。
ごめんなさい、私は自分の心の中に閉じ込めることができなくて、ついこうやってテキストにしてしまった、まるで井戸端会議で近所のうわさをするおばちゃんのように、誰かに聞いてほしくて。
あなたはどう反応するだろうか。
この永岡大輔の「曖昧な庭」に踏み込んで迷ってほしい、見る目も、感想という気持ちの行き場までも。