作品 in 作品
作品 on 作品
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藤田千彩
小さいころ、かくれんぼが好きだった。
体が細かったせいもあって、絶対見つからないような、ピアノの裏とか、押入れに入った布団と布団の間とか、そういった微妙な場所に隠れるのが好きだった。
隠れていると、隠れるという意識はどこかへ行ってしまい、その場所がとても居心地よく感じてしまったものだ。
鬼に一番早く見つけられたとしても、いやな気持ちにはならず、むしろ「早く見つけてくれないかな」とわくわくして隠れていた。
一見、何もない展示スペース(写真1)で、きっと水野亮の作品もそんな気持ちで、私たち観客を待っていたに違いない。
場所は武蔵野美術大学にある民俗資料室。
去年作られたギャラリーは、あくまでも民俗資料の部屋に隣接する施設だ。
以前その資料室を見せてもらったとき、たんすなどの家具、しゃもじのような家庭にあるもの、衣類など、なんでもあった。
その資料をギャラリーに持ち出し、水野は自分の分身のような小さな人形をしのばせる。
ふっと目を見遣ると、置かれた古民具の机の上に、けしごむのような粘土のようなもので作られた人形が、いた(写真2)。
また、別のところにも、いた(写真3)。
床に目が行くとドローイングが、あった(写真4)。
最初は気づかない。
たんすが並んでる、としか見えない。
ふと手を伸ばし、引き出しを開けてみると、いた(写真5、6)。
そういう感じで、実はたくさん「隠れて」いるのだ。
この人形たちは制作物として存在しているはずなのに、「ここに前からいたよ、だって居心地いいもん」と答えそうな感じ。
私はいくつもそれらを見つけ、「あ」と小さな声を出す。
その人形たちは姿を見せるとき、恥ずかしそうにしている。
気のせいじゃない。
この感覚は、かつて私が味わったかくれんぼの気持ちと似ている。
秘密でいたい、でも本当は見つけられたい。
真逆の行為でありながら表裏一体の気持ち、この展示でそれらは見え隠れしていた。
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