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(上)「空気の厚み」リバーサルフィルム、鏡、ガラス、プラスチックスーパーボール、アクリル絵具サイズ可変 2006年(下)「風船のなか」スーパーボール、写真、スケッチブック10.5×17.5×3.7(cm)2006年(右)「夕日を宿したプリズム」貝殻、ガラス、プラスチック、他サイズ可変2006年
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(上)「まどろむ光り」プラスチックにアクリル絵具frame size/ 15.0×15.0(cm)2006年(中)展示風景 「まどろむ光り」紙にアクリル絵具frame
size/ 20.7×25.7(cm)2006年(下)展示風景 寺田就子展 「澄んだ にごり」
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作品と向き合う自分を見つめる
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藤田千彩
ギャラリーにおいてある小さな作品たち。
今年は京都でも、大阪でも、そしてここ岐阜のギャラリーキャプションでも見てきた寺田就子の作品。
それらは、ガラスやスーパーボールというかわいらしい“既製品”を組み合わせ、作品自体でインスタレーションしている。
時には綿毛つきの種を使い、時にはプレパラートや分度器も使う。
ぼんやりしているように見えて、実は奥が深いのかもしれない。
そう思いながらいつも見てきた。
寺田の作品で、私が魅かれているのは、はっきり主張しないよう外見なのに、何か「もの」を言いたそうなところだ。
どんなことでも、誰もが見た目をまず気にするだろう。
私はそういった見かけ倒しは好きではないので、人なり物なりと話をしてみる。
寺田の作品と向かい合ったとき、時計の針の角度、重ねられたガラスに映る物の影、透き通る光の角度について、いろいろ考え込んでしまう。
それは批判的かもしれない、孤独なのかもしれない、わからない。
ただその些細な事柄の連続で、ああこの作品と出会えて良かったといつも思う。
見かけだけ、という作品があふれる中、一つ一つの作品と向き合い、話ができるということができることはとても貴重だ。
だからこそ寺田の作品は小さく、向き合うサイズでちょうどいいのだと思う。
きっと作品と話をすることで、流れゆくすさまじい時間や忙殺されていく雑事に追われる自分を見直すこともできるに違いない。
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