top\reviews[「震電」特別公開/福岡]
「震電」特別公開


<震電> 後方部

中ハシ克シゲ 震電プロジェクト
TEXT 池永晶子

 
近づくと一枚ずつ写真が貼り合わされているのがわかる[+zoom]
 
 
震電を前に語らう中ハシさんと観客[+zoom]
   
歩くだけで、いや、じっとしているだけでも汗がしたたる。
そんな暑い夏の日、多くの人の手によって復活した、幻の戦闘機「震電」が公開された。会場の渡辺鉄鋼は、かつて「震電」が作られていた工場だという。震電を前に、作者の中ハシ克シゲを交え、自らの戦争体験を語りあう姿があちこちで見られた。
それにしてもプロジェクト型作品の展覧会とは思えない人の多さである。2日間で400人近くもの人が訪れたという。なかでも、6、70代とみられる姿が多く、ここまで老若男女―の特に老男女―に足を運ばせるプロジェクトを私は知らない。同時多発的に次々と会話がつむぎだされる空間にただ驚くばかりであった。

この「震電プロジェクト」は、中ハシが2000年から行っている「ゼロプロジェクト」のひとつで、戦闘機のプラモデルを作り拡大接写、L版でプリントした写真をつなぎ合わせ、実物大の機体を制作する、というものである。2万5千枚もの写真を貼り合わせる作業は、地元のボランティアとともに行う。制作期間中には戦時中についてのレクチャー・トークなども開催され、プロジェクトを通じて、多くの人々のコミュニケーションを生み出すことを目的としている。

6月の半ばから7月の下旬にかけて、「震電」は、集まったボランティアとともに作られていった。作業場となった福岡市美術館は連日熱心なボランティア達で賑わったらしい。
私も、短い時間だったけれども、写真を貼り合わせる作業に参加してみた。拡大接写された写真を、パズルのように組み合わせ貼り合わせていく。苦労の末、ピタっとはまるとかなり嬉しい。隣で作業するボランティアのご老人は、震電の思い出話をしゃべってくれたりする。作業自体の面白さとご老人のトークの面白さが合わさって、あっという間に時間が過ぎてしまった。日常では体験できない、非常に興味深い時だった。

さて、この「震電」は、一度も実戦に参加せず、米軍に没収された幻の戦闘機である。“実戦経験のない戦闘機”―これは、これまで中ハシが行ってきたゼロプロジェクトの他の戦闘機と決定的に違う点で、「震電」には戦争での命のやりとりの経験がない。これまでのゼロプロジェクトでは、作業が進み戦闘機が姿を現わしてくるにつれ、奪われた命が浮かび上がり、深刻なムードが流れてきたという。しかし、この「震電プロジェクト」では、終始和やかな空気が流れていた。このことが多くの参加者を生んだ事のひとつの要因かもしれない。
また、いつもは張り合わせた写真はそのままで、ふにゃふにゃの状態のままで完成としていたのだが、「震電」には実体を与えてもいいのではないか、との考えにより、ステンレス線による「骨組み」が張り合わせた写真の中に入れられ、完成となった。これも今までのプロジェクトと大きく異なる点だった。

完成した「震電」は、前述の夏の暑い日に公開され、本当に多くの会話を生みだした。「震電」をきっかけに熱心にしゃべり続ける沢山のお年寄りの姿は、本当に強烈に印象に残っている。
そして、「震電」は展示後、プロジェクトのクライマックスのイベントとして焼却される計画だった。が、ここで問題が発生した。
「震電」を焼却するイベントが福岡市環境局からの指導により中止せざるをえなくなったのだ。作品の焼却が産業廃棄物法で禁止されている「野焼き行為」と区別できないのだという。(ちなみにこのイベントは終戦記念日の8月15日に予定されていた。)
プロジェクトの一部である「作品の焼却」というアートイベントは、ただの「ごみの焼却」と同義なのであろうか?
非常に残念な出来事だった。

このことにより、現在、震電プロジェクトは一次中断している。
震電が次に姿を現わす日はいつになるのだろうか。
プロジェクトのフィナーレを見届けられる日を待ち望んでいる。


「震電」特別公開

渡辺鉄工株式会社(福岡市博多区相生町)
平成18年8月5日(土)、6日(日)(2日間)
午前11時〜午後5時

震電プロジェクト
http://www.workshopstudio.net/shinden_enter
 
著者プロフィールや、近況など。

池永晶子(いけながあきこ)

1984年生まれ。
佐賀に住む現代アート好きの大学生。
出没場所・・・福岡アジア美術館




topnewsreviewscolumnspeoplespecialarchivewhat's PEELERwritersnewslettermail

Copyright (C) PEELER. All Rights Reserved.