いで湯が取り持つ新たな縁
そもそも湯治とは、病気の治療や保養などを目的として温泉地などに長期間滞在する行為であり、湯治客の中には、宿の近くの商店で買い物をし、自炊をしながら滞在するなど、住民とさほど変わらない日常生活をすごす者も少なくない。
「縁台なる計画」や「田んぼ湯治」など、東鳴子で取り組まれている様々な試みは、まさにこうした湯治場ならではの特性に着目したものである。
それは、「人が訪れて心地よい町は、まず、そこに住む人が心地よいと感じる町」をモットーに、東鳴子の魅力を掘り起こし、それをもとに旅館や地元住民、湯治客が垣根を取り払ってともに楽しむ、というものだ。そして、今回の「AIT
アート in 湯治」も、そうした方向性の延長線上にある。
今回展示された作品は、温泉と明確に関連づけられたものが少ないため、「温泉場での展示だからきっと温泉に関連した作品が見られるんだろう」などと思って作品を観ると、肩透かしを食うかもしれない。
しかし、そのまま滞在して東鳴子での時間の流れに体がなじんでくると、それぞれの作品が東鳴子の景色をより豊かに感じさせてくれることに気づくだろう。そしてその視点は、東鳴子に住む人々の視点とも重なるのだ。
今回の「AIT アート in 湯治」を観ていると、まさにそうした視点に立ち、東鳴子の土地になじみ、東鳴子の人々に親しまれる展示になるように構成されていると感じる。そしてそれは、そこに滞在する湯治客にとっても心地よく感じるものとなっている。
こうした展示が実現したのは、コーディネーターを務めた門脇の労力によるところが大きい。彼は今回の「AIT アート
in 湯治」の開催にあたり、「通い湯治」と称して足しげく東鳴子に通い、地元の人々との交流を重ねるとともにアートに対する理解の促進も図っていった。その過程は「GOTEN
GOTEN 2006アート湯治祭」のオフィシャルブログに詳しいが、アートが東鳴子に受け入れられていく過程として興味深く読むことができる。
さらには、門脇や田中の作品は、作品の制作や設置に東鳴子の人々の参加を促すことによって作品への親近感を高めようとしていた。そのかいあって、門脇の「ゆめ色の蚊帳」や田中の「倉庫の秘密」は会期終了後も引き続き残されて展示されるようになり、「倉庫の秘密」は東鳴子の子どもたちに作品が引き継がれて作品に手が加えられ続け、ついには移設保存までされるようになった。これこそ、今回の「AIT
アート in 湯治」が東鳴子の人々に受け入れられた証左といえるだろう。
また、狩野の「発芽−雑草」などは、東鳴子に住む人々に「こんなこともアートになるの?」という驚きを与えたようだ。そして門脇によれば、この作品を観てから、東鳴子の人々が、自分の思い思いの表現をアートと称して行うことが流行したということである。
こうして東鳴子に住む人々がそれぞれの創造性を発揮することで、地域はますます魅力あるものになっていくのだろうと思う。
ただ惜しむらくは、1週間の会期中、作家が滞在して行われた湯治体験が作品に十分に反映されたとは言いがたいことだ。せっかく作家が湯治体験をするのだから、その成果が作品や展示にもっと明確に反映されれば、より東鳴子に根ざした展示が可能だったと思うし、展示そのものでより人をひきつけることができたのではないだろうか。
とはいえ、とかく現代アートは地方においてはあまり理解されず、拒絶されるケースもあることを考えれば、東鳴子の人々に受け入れられ、日常生活にも影響を与えつつある今回の「AIT
アート in 湯治」は大きな成果をあげたといえるだろう。そして、他の地域や湯治客を巻き込むことで、さらなるうねりを生み出す可能性を秘めている。