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GOTEN GOTEN 2006アート湯治祭−AIT アート in 湯治−
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1/JR鳴子御殿湯駅
2/東鳴子温泉 温泉街[+zoom]

湯治場とアート−新たな縁が生み出すもの
TEXT 横永匡史

東鳴子温泉 その新しい試み
緑に輝く水田や森の中を、2両編成の列車が走っていく。
JR陸羽東線は、日本有数の米どころである大崎平野や、これまた日本有数の温泉地である鳴子温泉郷を走る路線であるが、その鳴子温泉郷の入口に位置するのが東鳴子温泉である。
東鳴子温泉は由緒ある湯治場として知られているが、近年は湯治客が農作業を体験し、田舎暮らしや地元の食を体感しながら温泉を楽しむ「田んぼ湯治」や、地元住民と湯治客が共に地元の間伐材で縁台を作ることを通して新たな“縁”を築いていく「縁台なる計画」など、新しい湯治のスタイルを次々と提案して注目を集めており、メディアにもたびたび紹介されている。
僕自身も、「東鳴子温泉」の名は何度か耳にしていた。
それでも、今回の「AIT アート in 湯治」の企画を知ったときには驚いた。
何でも、4人の現代美術作家が1週間の間湯治体験をしながら作品を制作し、温泉街の中で展示するというのである。
湯治とアートという組み合わせは一見突拍子もないもののようにも思えるが、アーティストが湯治場に滞在し、湯治生活をしながら作品を制作するというこの企画からは、新しい何かが生まれるかもしれない。
そんな期待に胸をふくらませながら、僕は列車にゆられて東鳴子温泉を訪ねた。

虹色の毛糸に“ゆめ”を託して(門脇篤)
まずは東鳴子温泉の玄関口であるJR鳴子御殿湯駅に降り立った。
地元の木材を使って建てられたという駅舎は、風格を感じさせる外観の中に、吹き抜け構造の高い天井と囲炉裏を思わせる待合スペースがあり、人々が安らぎを感じくつろげる構造となっている。
その駅舎内には、門脇篤の「ゆめ色の蚊帳」が展示されていた。
門脇篤は、色とりどりの毛糸を張り巡らせるインスタレーションや、“願い”をテーマにした作品などを中心に制作しているが、今回の「ゆめ色の蚊帳」は、様々な人の願いごとを書いた短冊を色とりどりの毛糸で編んだ蚊帳に下げ、吹き抜けの天井から吊るした作品である。
下から見上げると、駅舎の壁面や天井のモノトーンの色調の中でカラフルな毛糸が何とも色鮮やかに見え、そこから下がっている願いごとが書かれた短冊とあいまって、室内全体がほのかなあたたかさに包まれているように感じる。
また、温泉街の脇を流れる江合川や温泉街の道沿いにもカラフルな毛糸が張られた。
屋外で見る毛糸は、光や風の影響で様々な表情を見せ、おだやかに温泉街全体を包み込む。
そして、地元の人々も僕のような湯治客も含めた、温泉街の中にいる全ての人の想いをも包み込むのだ。

 
 
3/門脇篤「ゆめ色の蚊帳」[+zoom]
4/門脇篤「スパ・ライン」[+zoom]
5/温泉街に張られた毛糸[+zoom]

 
 
6,7,8/田中真ニ朗「倉庫の秘密」[+zoom]
廃屋の中に息づくもの(田中真二朗)
JR鳴子御殿湯駅の隣にある草地では、田中真二朗の「倉庫の秘密」が展示されていた。
田中真二朗は、主に粘土や石膏を用いて、現代社会で打ち捨てられた風景をテーマに立体作品を制作している。
今回はこの草地に、地元の森林組合の協力で調達した廃材や近隣から採集してきたツタなどを使って、廃倉庫に模した建造物を作り、その中に壊れたテレビやスピーカーなどの廃棄物が入れられている。いわば田中が普段制作しているものの実物を作った格好である。
集められた材料も作られたものも、社会の中では捨て去られ忘れられるもの。しかし草地に突如として出現したこの廃倉庫には、そうしたものたちへの田中のあたたかいまなざしが感じられ、廃倉庫自身からも生命の息遣いのようなものが感じられる。作品のタイトルにあるように、廃倉庫の中に何かがあるようでわくわくさせられるのだ。
そしてそれにひかれるように、僕が見ている間にも近所の子どもたちがやってきては、中で遊んでいたり田中の制作を手伝ったりしていた。
東鳴子の子どもたちは皆この草地の脇を通り、駅から列車に乗って通学している。そうした普段から見慣れている草地に出現したこの廃倉庫を、子どもたちが秘密基地に見立て、制作を手伝ってくれることを期待していたと田中は言うが、まさにそのとおりの光景が目の前にあった。
この廃倉庫は確かにこのとき、田中と子どもたちの夢がつまった秘密基地だった。

雑草と建物の生命の共鳴(狩野哲郎)

次に、田中の作品が設置されている草地から、高台へと通じる細い坂道を登っていく。すると、高台に東鳴子会館という石造りの重厚なたたずまいを持つ集会所が建っている。
今でこそ物置のようになっていて、映画の上映会など年に数度ほどしか使われないようだが、かつては披露宴の会場としても使われたようで、その外観からは何ともいえない風格を漂わせている。
この東鳴子会館の玄関に、狩野哲郎の作品「発芽−雑草」が展示されていた。
狩野哲郎は、畳や床板の隙間、窓枠などに雑草の種を蒔いて育てるというプロジェクトを継続して行っているが、今回は、この東鳴子会館の玄関の中央部の床板の隙間に雑草を植えた。
通常であれば、雑草は人の手によって摘み取られるものであり、雑草が生えたままの状態であるということは、人の手が入っていない荒廃を意味する。
しかし狩野の手によって植えられ、丹念に育てられた雑草からは、そうしたネガティブな要素は感じられない。雑草は、その葉をピンとまっすぐ上に立てており、上へ上へ伸びていこう、成長していこうとする生命の意思のようなものをも感じさせるのだ。
考えてみれば、そもそも雑草というのはあくまで人間にとって有用かどうかという価値基準によって決められるものであって、その草にとっては、自らが雑草かどうかなんて関係のないことだ。
狩野の手によって植えられた雑草は、もはや「人の手によって摘み取られる」という意味においての雑草ではない。それは、懸命に成長しようとする瑞々しい生命の発露である。
そして観ているうちに、この雑草の生命が東鳴子会館と共鳴し合い、会館そのものの息遣いのようなものも感じられてくるのだ。

 
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9/東鳴子会館
10,11/狩野哲郎「発芽−雑草」[+zoom]

森の中に息づく生命(越後しの)
東鳴子会館からさらに坂道を登ると、右手に木々が生い茂る公園が見えてくる。
ここ大沼公園では、越後しのの作品が展示されていた。
越後しのは、仙台市内でギャラリーを運営するかたわら、「栽培」と題して昆虫など自然界からインスピレーションを受けたものを線で組み合わせて表現する作品を一貫して制作している。
今回は、大沼公園の林の中に、そうしたイメージを元に制作され、同じく「栽培」と題された半立体の作品と、木の枝に巨大な虫のような立体をテグスで吊るした「ゆきを」という作品を展示した。
今回こうした野外で展示するのは初めてとのことだが、その言葉がにわかには信じられないほど、木々の緑の中に越後の作品は見事に調和している。
やわらかな曲線は昆虫の羽や植物などを思わせ、実際に同様の生物が森の中に潜んでいるかのように感じられる。それとともに、僕らのインスピレーションが作品に刺激されてどんどん高まっていく。森に潜んでいる目には見えない生命の息吹のようなものが形まとい、目の前に現れているようにも感じられるのだ。
そしてその隣に展示された「ゆきを」は、そうした生命の息吹がまるで現実のものとなったかのようなリアリティを持っている。
形状は何やらグロテスクのようにも思えるが、観ているうちに触らずにはいられなくなるのだ。
そしてそのやわらかな手触りは、この森に息づく生命の手触りなのかもしれない。

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12,13/越後しの「栽培」[+zoom]
14/越後しの「ゆきを」[+zoom]

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15/ギャラリーツアーの模様(左から2人目が狩野哲郎)
16/ 門脇篤「スパ・ライン」とワークショップ風景[+zoom]
17/門脇篤「ゆめ色の蚊帳」(拡大)[+zoom]
18/ 狩野哲郎によって採取された雑草の種[+zoom]
いで湯が取り持つ新たな縁
そもそも湯治とは、病気の治療や保養などを目的として温泉地などに長期間滞在する行為であり、湯治客の中には、宿の近くの商店で買い物をし、自炊をしながら滞在するなど、住民とさほど変わらない日常生活をすごす者も少なくない。
「縁台なる計画」や「田んぼ湯治」など、東鳴子で取り組まれている様々な試みは、まさにこうした湯治場ならではの特性に着目したものである。
それは、「人が訪れて心地よい町は、まず、そこに住む人が心地よいと感じる町」をモットーに、東鳴子の魅力を掘り起こし、それをもとに旅館や地元住民、湯治客が垣根を取り払ってともに楽しむ、というものだ。そして、今回の「AIT アート in 湯治」も、そうした方向性の延長線上にある。
今回展示された作品は、温泉と明確に関連づけられたものが少ないため、「温泉場での展示だからきっと温泉に関連した作品が見られるんだろう」などと思って作品を観ると、肩透かしを食うかもしれない。
しかし、そのまま滞在して東鳴子での時間の流れに体がなじんでくると、それぞれの作品が東鳴子の景色をより豊かに感じさせてくれることに気づくだろう。そしてその視点は、東鳴子に住む人々の視点とも重なるのだ。
今回の「AIT アート in 湯治」を観ていると、まさにそうした視点に立ち、東鳴子の土地になじみ、東鳴子の人々に親しまれる展示になるように構成されていると感じる。そしてそれは、そこに滞在する湯治客にとっても心地よく感じるものとなっている。

こうした展示が実現したのは、コーディネーターを務めた門脇の労力によるところが大きい。彼は今回の「AIT アート in 湯治」の開催にあたり、「通い湯治」と称して足しげく東鳴子に通い、地元の人々との交流を重ねるとともにアートに対する理解の促進も図っていった。その過程は「GOTEN GOTEN 2006アート湯治祭」のオフィシャルブログに詳しいが、アートが東鳴子に受け入れられていく過程として興味深く読むことができる。
さらには、門脇や田中の作品は、作品の制作や設置に東鳴子の人々の参加を促すことによって作品への親近感を高めようとしていた。そのかいあって、門脇の「ゆめ色の蚊帳」や田中の「倉庫の秘密」は会期終了後も引き続き残されて展示されるようになり、「倉庫の秘密」は東鳴子の子どもたちに作品が引き継がれて作品に手が加えられ続け、ついには移設保存までされるようになった。これこそ、今回の「AIT アート in 湯治」が東鳴子の人々に受け入れられた証左といえるだろう。
また、狩野の「発芽−雑草」などは、東鳴子に住む人々に「こんなこともアートになるの?」という驚きを与えたようだ。そして門脇によれば、この作品を観てから、東鳴子の人々が、自分の思い思いの表現をアートと称して行うことが流行したということである。
こうして東鳴子に住む人々がそれぞれの創造性を発揮することで、地域はますます魅力あるものになっていくのだろうと思う。

ただ惜しむらくは、1週間の会期中、作家が滞在して行われた湯治体験が作品に十分に反映されたとは言いがたいことだ。せっかく作家が湯治体験をするのだから、その成果が作品や展示にもっと明確に反映されれば、より東鳴子に根ざした展示が可能だったと思うし、展示そのものでより人をひきつけることができたのではないだろうか。
とはいえ、とかく現代アートは地方においてはあまり理解されず、拒絶されるケースもあることを考えれば、東鳴子の人々に受け入れられ、日常生活にも影響を与えつつある今回の「AIT アート in 湯治」は大きな成果をあげたといえるだろう。そして、他の地域や湯治客を巻き込むことで、さらなるうねりを生み出す可能性を秘めている。

高齢化や過疎など社会構造の変化などにより、地方の活力の低下が指摘されて久しい。
そんな中で東鳴子は、アートと出会い、地元の特性や魅力を活かしたまちづくりによって活気を取り戻そうとしている。
そこには、地域とアートの理想的な出会いのひとつのかたちがあったように思う。
そんな、いで湯が取り持った新たな縁の行く先を、今後とも見守っていきたい。

GOTEN GOTEN 2006アート湯治祭
AIT アート in 湯治


東鳴子温泉各所(宮城県大崎市)
2006年7月6日〜12日
 
著者プロフィールや、近況など。

横永匡史(よこながただし)

1972年栃木県生まれ。
2002年の「とかち国際現代アート展『デメーテル』」を見て現代美術に興味を持つ。
現在は、故郷で働きながら、合間を見て美術館やギャラリーに通う日々。


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