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渡部華子展 “移動する”
 

エネルギーを知覚する
TEXT 池澤廣和

<移動する>
エネルギーはそこにとどまるものではなく
動く=移動することによって
顕在化する動的なものです。
動的であることを実感するためには
そこにエネルギーを存在させるためだけの
装置が必要であると考えます。

(会場のキャプションより抜粋)

ブラックライトで浮かび上がるインスタレーション
 
薄暗いギャラリーの中には大きな黒い網状のシートが張られており、白く光る線が多数入り乱れ、エレクトリックな印象を受ける。プロジェクターによる投影かと思ったが、光る線は全く動かない。実は黒いシートに縫いつけた白い糸が、ブラックライトによって光っているのだった。空間に浮かび上がるエレクトリックなダイナミズムと、意外にもアナログな手法とのギャップに驚かされた。

作品の真下に入り込んで見上げると、糸の縫い目がよくわかる。1本1本をミシンで縫っているというその作業の痕跡を眺めながら、だんだん視野を広げていくと、ディティールが消え去り“糸”から“光”に転換する瞬間がある。その知覚の狭間でゆたゆたと鑑賞していると、物質ではないその光の中心点に、意識が収束していくような流れを感じる。渡部のポートフォリオには「目に見えるものと見えないもの、双方を知覚するために」と書かれていたが、見えないものが見えるものと同等のリアリティをもって知覚しうる場が、そこには確かに存在していた。

今後の展開に関して、渡部は「観客の五感を刺激するような作品をつくりたい」と語っていた。パフォーマンスなのかインタラクションなのかはわからないが、何かしら時間軸をもった変容を取り入れることで、いろんなことを感じて欲しいようだ。今回の展示が余計なものを削ぎ落とした無駄のない作品だっただけに、次はどんな展開をみせてくれるのか非常に楽しみである。

 
<目に見えるものと見えないもの、双方を知覚するために>


作品の真下に入ると糸のディティールがわかる
パソコンを解体したことがある。
基盤の山に囲まれて、流れる情報と電気や熱のエネルギーに思いをはせた。
私が液晶の画面で見ている実体のない何かの正体がここにあった。
人が見ているものは実際のところ「物」ではなく現象なのだ。
そう思ったとき、世界が広がるような感じがした。

(渡部のポートフォリオより抜粋)


渡部華子展 “移動する”

Gallery-58
2005年11月28日(月)〜12月10日(土)

著者プロフィールや、近況など。

池澤廣和(いけざわひろかず)

1981年福井県生まれ
三菱地所アルティアムのディレクター。
インディペンデントでもアートイベントの企画に携わっている。



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