まだ会ったことのないあなたに
「伝えたい」と思ったこと
TEXT 藤田千彩
まだ暑い日だった。
初めて降りる「大倉山」(神奈川県横浜市)の駅から、長い長い坂を上った。
坂にはいくつか豪邸が並び、線路脇なのに電車の音よりも耳をつんざくセミの鳴き声が響いていた。
そして「大倉山記念館」にたどり着く。
緑の木々が目にしみ、石造りの建物が建っている。
玄関の前で絵を描いている、女子高生がひとり。
汗を拭い、私はひんやりした建物に入った。
ギャラリーに向かって、奥へ奥へと足を運ぶ。
踏み入れた最初のスペースに、井上玲の作品が並んでいた。
どぎつい赤の女性のブラジャーなど、衣服がハンガーに掛かっている。
それらには、ドッグフードが貼り付けられており、近づくとたしかにドッグフードのにおいがする。
人工物ってこんなに鼻を覆いたくなるようなにおいなんだ・・・。
動物に関係のない生活をしているため、そのいびつなにおいに驚いた。
会場は庭園を囲むように、円形になったスペース。
だから、壁は湾曲して、ぐるんと一周できる。
出品作家は、ジャンルで言うと「パフォーマンス」など「美術」ではない人が多い。
それはつまり、普段「見る」感覚ではない、違う器官を動かしているアーティストが、
「見る」ことを意識して、作品を作っているということだ。
また、それはつまり、決まった時間や場所で作品を発表して“いない”アーティストたちが、
形残るものを作っているということでもある。
谷川まりは、自身のパフォーマンスでも見せるような、風船に何かをいれ、膨らませた作品を壁に展示している。
目に見えるものは、私の心で(勝手な解釈で/自分の経験や体験を踏まえて)理解される。
壁から垂れたそれは、私には乳房に見えて仕方がない。
いやらしい、というより、女性の哀しみを感じる。
和志武礼子の作品は、映像作品では何度か見たことがあったが、写真作品は初めてである。
薄い布地に景色がプリントしてある。
その布地の薄さ、印刷のインクの薄さが、私の“記憶”の薄さ、ものの“存在”の希薄さを感じた。
右回りをした最後に、クラーク志織の作品に目を奪われる。
古いモニターの切り抜いた画面には、会場中心にある庭園が臨める。
おお、これは借景、最後にいいものを見た、とクスっと笑ってしまった。
作品すべてを見て求められる感覚。
体すべてを作品にぶつけて、思うこと、考えること、知ることを、あなたにも知ってもらいたいと思った。
それは作品だけでなく、帰り道に見た夕暮れに映える緑、坂道からの町並み、街でビラを配る光景、
あらゆる日々の出来事に対して、何かを感じてもらいたいのだ。
Quoi? 見えない声を聞く、届かない声を見る−泡となり水に消えゆくその日を待たずに
井上玲、高草木裕子、クラーク志織、広田美穂、谷川まり、直方平ひろと、和志武礼子、小松雅明、PS3ペドロ・サンチェス3、中泉さとこ、水けいこ
大倉山記念館(神奈川県横浜市)
2005年9月7日(水)−9月11日(日) |
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a)PS3ペドロ・サンチェス3
b)和志武礼子
c)水けいこの作品
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