美の挑戦者たち
TEXT 蛭田 直
倉敷市立美術館にて行われた、日本画壇を代表する一人、池田遙邨と息子で現・青塔社代表の池田道夫を始め青塔社会員41名による青塔社50周年記念展。
池田遙邨は明治28年に岡山県の玉島乙島に生まれ、戦前は帝展や文展で戦後は日展で活躍した日本画家である。関東大震災(大正12年)の惨状を描いた「災禍の跡」が帝展に落選後、失意のうちに倉敷に帰郷した遙邨は本栄寺にこもって習作を重ね、ついに大和絵風の画風を確立し帝展で特選を獲得する。研鑽励んだ故郷倉敷の風景もこよなく愛し描いており、生前700点もの作品・スケッチを倉敷市に寄贈していることから郷土への思いも伺える。東海道五十三次の安藤広重や漂泊の俳人・種田山頭火などに影響を受け、自らはっぴ姿で各地を旅し「旅する画家」と言えるほどであった。
池田遙邨の日本画は、どこかの道中でさりげなく視点が向かった先を優しい視線で描かれており、日本画であるが格式張った感じがしないのが好印象である。特に京都タワーを描いた「京都タワー」
(昭和55年)は、ろうそくの形をした京都タワーが大きく柔らかく描かれているのと背景にある月とのバランスが何とも絶妙である。ろうそくという日本的なモチーフで作られた高度成長期の建築物京都タワーが、日本画でありながら独自のユーモアある画風で描かれており、伝統的で写実的な日本画とは異なる画風で描かれていることにも興味を持った。
息子の池田道夫は、青く描かれた森林を背景に、中央には静物を置き、油画と日本画との融合を感じさせる。岩絵の具で描かれた青い森に浮かぶ瓶などのテーブルに置かれたモチーフは不思議な空間を生んでいる。融合と言うより同居による新しい表現を感じる日本画であった。
他の会員の作品も、それぞれに独自の視点で新しい表現に挑戦しているって感じが伝わってきたが、日本画は画風により狩野派など画派にわかれていたものが現在は画壇として分かれている、その中で個々に新しい表現に挑戦し、多様な画風をそれぞれが描く青塔社の展示を見て画壇とは何なのかという思いに駆られてしまった。多様な表現と流派の存在意義ということでも今後青塔社の活動を見ていきたいと思う。
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